2024年05月10日( 金 )

この国の大新聞に未来はあるか?絶滅危機に瀕するメディア(後)

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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏

 結論をいってしまえば、「そんなもん1ミリの可能性もないわ!」としかいいようがない。ジャーナリズム研究者による論考や元・現役新聞記者たちによる体験的新聞紙考も数多く出ている。私もその類の本をかなり読んではいるが、新聞がこの先も存続して、影響力を持ち続けていくだろうと、納得させられるものは“皆無”といってもいい。

メディアの劣化

 今回のウクライナ戦争で、この国のメディアの取材力、情報収集力の劣化がさらに進んでいたことが明らかになった。以前から、日本の新聞、テレビでは、自社の記者を危険地域には派遣せず、フリーランスの記者を行かせて、彼らが取材してきた素材を買い取るという仕組みができ上がっていた。

 福島原発事故のとき、真っ先に現地から逃げ出したのは大手メディアの記者たちだったため、外国メディアからも批判を浴びた。今回も同様のことが行われているが、さらに困ったことに、ロシア嫌いが8割といわれる日本の世論に迎合して、ロシアは悪、ウクライナは善と単純に決めつけ、西側、主にアメリカ側からの情報を鵜呑みにした報道が垂れ流されていることである。

 今回の戦争は「TikTok戦争」ともいわれるそうだが、大量のフェイクニュースを含めた情報が、ロシアからもウクライナからも意図的に大量に流されている。加えて、真偽のほどがわからない個人が発信する情報が、ツイッターを含めたSNS上にあふれた。それを安全な東京にいて現場をまったく知らない人間たちが、自分たちに都合の良い情報を恣意的に選び出してニュースをつくり上げるのだから、日々、偏った情報で読者や視聴者は“洗脳”されているのである。

戦場ジャーナリスト イメージ    「戦争が起これば最初の犠牲者は真実である」とは言い古された言葉だが、日本でウクライナ戦争報道をいくら見ていても、真実など見えてはこない。ジャーナリズムの基本は、「私たちは見てきた。結論は読者にお任せします」(開高健『ベトナム戦記』)であるはずだ。だが、現場に行かない人間が恣意的に集めてきた情報を鵜呑みにして判断することなど、怖くて、私にはできない。

 第二次世界大戦と異なり、現代の戦争では、権力側がジャーナリストたちを力で押さえつけ、自分たちに都合の良い記事を書かせることなどできはしないと“勘違い”している人も多くいるようだが、権力者のやり方はもっと巧妙になっているのだ。現代の戦争ではPR担当の広告代理店が関与して、クライアントに有利な情報を“捏造”して流していることがよく知られている。

 湾岸戦争では、クウェート人少女「ナイラ」が、イラク兵が赤ん坊を保育器から出して床に投げたと証言して、アメリカが湾岸戦争に突き進む引き金になった。しかし、この話は、広告会社によってでっち上げられた真っ赤な嘘だったことが、戦争勃発後に判明した。ユーゴスラビア内戦では、ボスニア側の広告会社により、クライアントの敵であるセルビア側が「民族浄化」を目指していると“喧伝”され、「国際社会の敵」に仕立て上げられたことがわかっている。

 戦争というのは、国家が命運をかけた戦いである。そこに仕掛けられた数々の“嘘”は、記者が可能な限り現場に赴き、その目、その耳、その体で体験しなくては、真実の欠片さえも見つけられはしない。

デジタル化をめぐる問題

『ニューヨークタイムズ』を発行する
NYTカンパニーの本社ビル

    3つ目はデジタル化の問題である。私は雑誌のデジタル化にかなり早い時期から関わっていたこともあって、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは、デジタル版の読者数が誌面版の読者数を上回り、経営的にも成功しているが、日本でもできないのかと聞かれることがよくある。しかし、考えてみてほしい。世界中が読みたがっているクオリティー・ペーパーと、日本語圏という極めて狭い読者しか持たず、クオリティーもない新聞では、土台が違い過ぎるのだ。後先考えずに、デジタル化を進め、現場の記者たちを疲弊させ、危機を増大してしまった“惨状”は、元毎日新聞記者の坂夏樹が書いた『危機の新聞 瀬戸際の記者』(さくら舎)に詳しい。

 速報性と合理化を前にして、「原稿は足で書け」は死語になり、若手の育成の場だった支局は記者の数が激減し、取材現場の弱体化はとどまるところを知らないという。何から何まで「デジタルファースト」になり、記者を機械と見なすようになった。その結果、新聞記者たちにアイデンティティーを見失わせ、疲弊させ、当然ながら業績悪化をもたらし、人減らしにつながっていったというのである。

 坂は、新聞社では「ジャーナリストを一から育てるどころか、育ちかけているジャーナリストを潰してしまう事態も起きていた」と記している。もはや、新聞、テレビ、雑誌は「絶望工場」といってもいいのではないか。

 朝日新聞を辞めた鮫島浩は『朝日新聞政治部』(講談社)のなかで、社内で懲罰的な異動を命じられてからSNSの世界を彷徨し、こう感じたという。「私は朝日新聞の記事がネット情報に比べて速さも広さも深さも劣っていることを実感した。(中略)しかも情報の大半はタダだ。それに比べて新聞は退屈で物足りなかった」

ローカル化が生き残る道

 ところで、最近、地方紙が頑張っているとよく聞く。その地域の人たちのニーズに合ったニュースをセレクトして流しているからだろうと想像できる。私は、新聞大手の朝毎読が生き残っていくための方策の1つは、全国紙であることをあきらめ、大ローカル紙になるという選択ではないかと考えている。

 朝日新聞と読売新聞は、紙面の8割を東京に特化した新聞にする。毎日新聞はもともと大阪毎日をルーツとしていることから、大阪をカバーする。印刷部門は切り離し、取材体制を少数精鋭にして、少部数でも経営が成り立つようにするのだ。

 ニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも、もともとはローカル紙である。そう考えれば、できない話ではないと思うのだが、新聞社のおエライさん方に、そんな叡智と決断力が残っているだろうか。

(了)

(文中敬称略)


<プロフィール>
元木 昌彦
(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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