【追悼】アントニオ猪木氏 国民に勇気与えた「太陽」

 元プロレスラーで元参議院議員のアントニオ猪木氏が1日、79歳で逝去した。14日に家族葬が執り行われる。後日、一般向けの「お別れの会」が開かれる予定となっている。

リング入場 イメージ    私の幼いころの最大のヒーローは、間違いなくアントニオ猪木だった。当時、新日本プロレスの試合は、ゴールデンタイムにテレビで生中継されており、アントニオ猪木やタイガーマスクの試合にテレビの前でくぎづけになっていたのを昨日のことのように覚えている。

 1983年に父親に連れられ、福岡スポーツセンターで新日本プロレスを初観戦。ディック・マードックに必殺技「卍固め」で勝利したアントニオ猪木の雄姿は目に焼き付いている。その後も福岡で試合がある際はしばしば観戦に赴き、アントニオ猪木、藤波辰爾、若き日の武藤敬司、蝶野正洋らの熱闘に我を忘れて熱中した。

 アントニオ猪木は、自身の引退セレモニーで「道」という詩を朗読した。この詩は宗教家・哲学者の清沢哲夫氏によるもので、多少文言は異なるようだが、アントニオ猪木によって広く世間に知られることとなった。

 この「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」という言葉に勇気をもらった方も多いと思う。私もその1人で、人生の岐路に立たされたときは、必ずと言っていいほど、この詩を頭に思い浮かべていたものだ。

 猪木氏の名言としては「イチ、ニ、サン、ダー!」や「元気があれば何でもできる」など、人々を勇気づけるものが数多くある。これらの言葉にどれだけ勇気づけられたことだろうか。私にとって猪木氏は、人生を明るく照らしてくれる太陽のような存在だったと言っても過言ではないし、日本国民の多くが同様の思いを抱いていることだろう。

 ジャイアント馬場(99年没、享年61歳)、ジャンボ鶴田(2000年没、享年49歳)、三沢光春(09年没、享年46歳)と、昭和・平成のリングを彩った名レスラーたちが次々と世を去っていく。彼らとともに日本のプロレス界を牽引してきたアントニオ猪木の功績はとても大きく、日本国民に勇気・元気を与え続けてきたという意味でも、その功績は計り知れない。心からご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

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