2024年05月21日( 火 )

【古典に学ぶ・乱世を生き抜く智恵】篠田桃紅の言葉に学ぶ~日々新たなる閃きが宿る~

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 前衛画家、篠田桃紅(1913~2021)は、中国・大連で生まれ、東京で育つ。

 独学で書を学び、30代から40代にかけ、より自由な創作を模索。和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な独自の抽象表現で、国際的にも評価される。

 作品はクレラー・ミュラー美術館、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館など国内外数10カ所の美術館に収蔵。また、アメリカ議会図書館や京都迎賓館、皇居の食堂など20数カ所の公共施設にも収蔵される。

 2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる。2021年、107歳であの世に旅立つ。

日々新たなる閃きが宿る

中島 淳一 氏    同じように線を引いても、昨日の線と今日の線は違う。芸術家の仕事は一見、同じことの繰り返しのように見えるかもしれない。太い大胆な線、あるいは薄いか細い墨の線を引いて、形をつくる。

 だが、繰り返しではない。昨日引いた線と今日引いた線は同じではない。一本一本の線を新たに創造しているからだ。その創造の喜びは筆舌に尽くしがたい。線にも線が生み出すフォルムにも色彩の濃淡にも、日々新たな息吹が宿る。

 芸術家も百歳を過ぎると、生物としては否が応でも日々衰えていく。歳とともに線も変化していく。線の力強さは体力とともに微妙に衰えていく。ただ、歳を経たからこそ深まった思考が、線に澄んだ深遠さを与えているようにも思える。

 とはいえ、老いることそのものにあまりいいことはない。不自由で困ることのほうが多い。だからこそ、老いて初めて得られるものは貴重なのである。人は無駄に歳を取っているわけではない。毎年同じ季節に咲く草花を見ていても、ああこの草花にはこういう美しさがあったのだと、初めて気づくことがある。満開だけが花、満月だけが月ではない。歳を取るというのは悲しむべきことかもしれないが、歳を取って悟ることもある。

 人間の価値観というものは相対的なものである。若い時の価値観が永続することは稀だ。老いてなお変わり続ける。真理というものはどんなに修行を積んでも人間の知恵ではつかめないにちがいない。どれだけ長く生きようが、おそらく会得できはすまい。だからこそ人生は面白いのだ。

人生は悲しく苦しい。だから芸術が生まれたのだ

 文学も音楽も絵画も幸福からは生まれないような気がする。芸術は人間がつくり出したすばらしいものだが、幸福に包まれた楽園には存在しなかった。そう考えるともの悲しくもある。人が常に幸福であれば、芸術などなくていいのかもしれない。釈迦が言ったように、生きることは辛くて悲しくて苦しい。だから芸術というものが生まれたのだろう。

 確かに芸術には折れた心を支え、傷ついた魂を慰め、深い思索に導く力がある。だが、深く癒やされたり、救われたりする人がいる一方で、同じ芸術が何の役にも立っていない人もいる。芸術と人の関係はそういうものだ。共鳴し、強く結び合う時もあれば、何の縁もない時もある。

 とくに抽象画ともなればそうかもしれない。抽象画は現実そのものを表現するのではない。現実の悲哀、憤怒、夢想、あるいは歓喜を現実のなかから抽出して、変容させる。現実を写実するのではなく、生み出すのである。想像力が主になり、現実はずっと後退してしまう。換言すれば、どんなことでも自由自在に表現しても構わない世界である。だからこそ、描いても描いても、表現し尽くせない世界でもある。行き詰まることはない。永遠にやり続けても、終わらない世界にいるのだから、行き詰まるはずがない。

 しかし、私の抽象画がずっと地上に長く残るかどうか、人々にどういう影響を与えうるかはわからない。こればかりは作品の持つ宿命であり、後世の人に委ねるしかない。


<プロフィール>
劇団エーテル主宰・画家
中島 淳一
(なかしま・じゅんいち)
TEL:092-883-8249
FAX:092-882-3943
URL:http://junichi-n.jp/

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