2024年05月05日( 日 )

『脊振の自然に魅せられて』脊振山でスキーを楽しむ(後)

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 矢筈峠へ続く曲がった道を下り始めると、1人の登山者が我々の方へやってきた。

 すれ違いざまに男性の顔を見ると、脊振山系でよく会う人だった。彼は脊振の山をあちこちと歩き回っている。筆者は「脊振の放浪者」と名付けている。しばらく4人で立ち話をした。椎原方面から雪の登山道を歩いてきたと言っていた。この後、脊振山に登ると我々が歩いてきた方向に進んでいった。

 さらに先に進むと、積雪に登山者の足跡が椎原峠方面の縦走路へと続いていた。

 縦走路の分岐をすぎ、気象レーダーへ続く広い作業道の坂を登る。ここから気象レーダーのある場所まで足跡のない白銀の道が続いていた。ガイドしている2人が、筆者に「先に雪に足跡を付けてください」と勧める。

 気象レーダー入り口では、登山者のためにゲートの横を人間1人分が通れるようになっている。高く聳える丸く白いドームが青空に眩しい。2年前に新しいレーダードームとなり小型化され、建物も半分の大きさに近代化されていた。建物もドームも白一色で雪景色に溶け込んで、青空に映えていた。

 レーダーの建物のすぐ側まで左回りの緩い坂の車道となっている。この積雪にも贅沢に足跡をつけた。振り返ると、筆者が雪を踏みしめた跡が左右に続いていた。

 建物の石段を上がると広い展望台となっている。筆者はこの場所は登山者のために展望台としてくれたと理解している。雪で覆われた広い展望台の斜面を走って登る。「ヤッホー」と思わず声を上げる。ついてきた2人も同じようにはしゃいだ。子どものように辺りを走り回る。ここから福岡市市街地と博多湾、反対方面には佐賀平野、正面には脊振山(1,055m)、西側には脊振山系の金山(967m)と、大パノラマが展開していた。贅沢な展望の地である。

脊振の気象レーダー展望台にて・筆者  バックは脊振山(1,055m)
脊振の気象レーダー展望台にて・筆者
バックは脊振山(1,055m)

 展望を堪能し終え、駐車場へ戻ることにした。自然歩道の木道で小さな雪だるまをつくって遊んだり、ブナの大木に抱きついたり、降り積もった雪のなかで自然を存分に楽しんだ。

 駐車場直下のキャンプ場に届くと、キャンプ場の東屋に先ほど出会った「脊振の放浪者」が休憩していた。ガイドした2人は彼としばらく、あれこれと話していた。「放浪者」は Iさんと名乗った。山のウエアーから靴までホームセンターで格安で購入したらしい。私と同じ年金生活者で74歳だった。高齢者には値段の高い山の道具は勿体ない。山を歩ければ十分なのだ。

 筆者は再度、スキーで滑る準備をした。ガイドをした2人にも、再度スキーをするよと伝えていた。「おーい、今から滑るよ」と、東屋にいる彼らに声をかけた。

 筆者は、華麗にスキーで滑り降りた。見学の3人が驚いて歓声を上げた。筆者が初心者のスキーヤーと思っていたらしく、筆者の滑りに拍手をくれた。「すばらしい!ただ滑り降りるのかと思っていた」、と。

 52歳から始めたスキーであるが、10年前、68歳で1級に合格した。2級合格はそれほど難しくはないが、1級となると壁は高い。何度も検定に落ちた。ただひたすら練習のみであった。そんな筆者を見かねた検定員からお情けで合格させてもらった。

 「第1回脊振スキーオリンピック優勝!」と見学の1人から声がかかった。筆者は78歳10カ月のスキーヤーである。

 一面の銀世界となる脊振山は、都心から車で1時間の距離にある贅沢な場所なのだ。積雪の脊振山駐車場へは冬タイヤ装備、タイヤチェーンなどが必要で、運転も慎重にする。

 この日は素敵な出会いもあり、脊振で雪景色と雪あそびを堪能した。後日、ガイドをした人からスマホに動画が届いた。楽しい動画となっていた。

山で出会った人たちと キャンプ場にて
山で出会った人たちと キャンプ場にて

(了)

2023年2月8日
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

(前)

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