2024年05月14日( 火 )

リジェネラティブ・デザイン論、都市の「逆開発」考察(1)

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リジェネラティブ・デザイン論

消費者が暴徒化している

 回転寿司店での迷惑行為の動画が拡散して問題になっている。ボックス席に座っていた若い金髪男性が、備え付けの醤油ボトルの注ぎ口を舐めたり、未使用の湯呑みを舐め回したりという「外食テロ事件」である。動画を視聴した人たちのなかには、「あのような客がいると思うと怖い」と回転寿司を敬遠するなど、深刻な実害も出ている。この行為は同時に、食の安全が脅かされ、日本人が共有して守ってきた社会規範と伝統を破壊する蛮行に値する。

 魚を生で食べるという文化は日本独特のもので、今でこそ世界に寿司文化が知れわたっているが、かつては野蛮なものとして扱われた。そんな食文化が育まれたのも、日本の国土と環境によるものだ。日本はその地形から急流河川が多く、水にも恵まれ常に洗い流されていることから、きれいな水質が保たれてきた。その河川が流れ込む近海もきれいだったことが、刺身の文化を育んだとされる。中国は食材に必ず火を通す食文化で、野菜でさえ火を通す。大陸をじっくりと時間をかけて流れる大河であれば、およそ魚を生で食べるような文化は生まれなかったかもしれない。

 裏を返せば「日本の食物は清潔である」という共通認識がそこに暮らす人々の前提にあり、それが独自の文化を育み、社会の規範もその信用の上に成り立ってきた。自然の豊かさで成り立っていた日本国土の食の安全が脅かされ、その波長はモラルや倫理を超えて、意識の病魔を探すところにまでおよんできている。これは、“行き過ぎた都市化による身体性の低下”という筆者の考える課題意識につながる。

【身体性】
意訳:感情、感性、触感など心と体で受け取る感覚的な情報。

人工都市の権化・東京

 “自然やローカルなものを壊していく”ことを「頭」でやってきた日本の近代。今、世界はローカルなものを見直す潮流にあるが、失われた「風土」を取り戻す必要もありそうだ。都会は自然を排除し、都市はすべての判断を“意識的に”行っていく。“考えてやる脳”で支配されているのが都市。これを解剖学者の養老孟司氏は「脳化社会」と呼んだ。自然にはその呪縛から解放される効能があるが、日本の都市、とくに東京や、東京を追随する中核都市はこの50年で、鉄とコンクリート、ガラスばかりの人工都市になってしまった。

 現代社会は「感覚」を軽視する。子どもたちの自然体験というものが典型的なものだが、大人が知らず知らずのうちに受け取っていたもの、それによって育まれていた潜在的な倫理・価値観が、子どもから消えているのではないか、同氏は同時に「子どもが心配」だと警鐘も鳴らした。

 “脳化”の行きつく先は「都市」である。人間がつくるということは、脳によってつくるということ。建築家が引いた設計図の通りに建物をつくる。建物は、そもそも人間の頭のなかにあったということになる。つまり、建築家が座っていたその空間も、実は設計した誰かの脳のなかだというわけだ。

脳化社会

 頭のなかの空間はすべて意識化されているので、一般に予期しない出来事は起こらないことになっている。東京は無秩序な街だが、そもそもの始まりも人工空間だ。平城京にしても平安京にしても、あるいは江戸にしても、最初に人間が設計している。誰もいない場所に城をつくるために山を削り、お堀を掘って余った土で海を埋め立てる。そこにできた更地に碁盤の目を引いたのが下町だった。ものを運ぶために川もコントロールした。利根川の流れを変えて、銚子にもっていく。利根川の水量のかなりの部分は、銚子のほうに流れるようになる。そうやって人が環境を変えていってつくり出しているのが人工空間だ。「すべてが人間の考えるようになる」と考えていくほうに、人の脳はどんどん進んでいく。

 ヨーロッパは適度に自然を取り入れ、そのバランスをかなり重視してきているが、都市というものは基本的に“人間が考えたものしか置かない”という約束のあるところ。土の道は気に入らないから、徹底的に舗装してしまう。川は全部ドブにする。国交省は治水対策だというが、水が流れていれば時々あふれるのは当たり前だ。あふれるのが異常だと考えるのは、すべてが我々の考えるようになれるという世界に住んでいる、人間の傲慢なる常識ではないだろうか。そのエゴが行きつくところまで行ったのが都市で、ここにも「身体性の低下」が垣間見える。

 明治以降、とくに戦後何が起こったかというと、「身体の表現」がどんどん縮小し、代わりに言語表現が肥大化していった。たとえばマスコミの発達。近代化によって享受された便利、安心、安全の行き過ぎた過剰宣伝が、脳化された社会にアウトプットされ、逆に人間の脳へ注入される。これにより思考の悪循環が蔓延り、経済や倫理や思想までも低迷させたのかもしれない。日本経済の停滞、少子高齢化の問題、人間関係の希薄化など、多くの課題の根底には“都市化”が影響しているのではないだろうか。都市化が身体感覚や感情そのものを排除し、我々人間は非常に重要な文化的表現としての身体表現を組織的に消してきたようだ。これから我々が考えなければならないことは、表現としての身体、あるいは自然としての身体というものをいかに回復させ、取り戻していくかというところにまできている。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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