2024年05月04日( 土 )

盲女の旅芸人と村人の情け(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

大さんのシニアリポート第120回

 新潟県胎内市に、養護盲老人ホーム「胎内安らぎの家」がある。文字通り、目の不自由な人たち専用の施設である。今から40年ほど昔、私はそこに五十嵐シズ、難波コトミというふたりの盲女を訪ねたことがあった。彼女たちの前職は「瞽女(ごぜ)」といった。瞽女とは、目明き(健常者)の「手引き」に導かれ、村々を門付けして喜捨(きしゃ)を得ながら旅する盲女の旅芸人を指す。高田に住む瞽女を取材し、『わたしは瞽女』『ある瞽女宿の没落』『高田瞽女最後』(いずれも音楽之友社)の「瞽女三部作」を完成させた。今回それを基に、『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)を上梓した。

生きるために旅をした(つづき)

『わたしは瞽女』『ある瞽女宿の没落』『高田瞽女最後』    夕食を終えたころ、村人が瞽女宿に集まりはじめる。年に一度の瞽女の唄を聴くためである。座敷の上座に据えられた瞽女たちは、まず「宿払い」程度に民謡や短めの語り物を披露する。「宿払い」というのは、宿賃を唄で支払うという意味が込められていた。

 その後は、村人のリクエストに応える。一番の人気は『葛の葉姫 子別れの段』という「段もの(語りもの)」だ。信田狐の子別れの物語である。人間と千年も生きた女狐との間に生まれた子どもでは、いつか別れは訪れる。その別れを切々と語る様が聴く者の心を打つ。嗚咽する声が漏れ聞こえてくる。ほかに「口説きもの」といわれる15分程度の短い唄では、『三人心中』『鈴木主水』『松前口説』や、猥雑な『へそ穴口説』などが人気の演目である。興に乗れば『萬歳』などの色ものも飛び出す。座が盛り上がり、明け方近くまで延々と続いた。

 翌朝、朝飯をいただき、持参した弁当箱にご飯とおかずを詰めてもらい、瞽女宿を後にし、次の村へと旅立つ。荷物のなかには、門付けで喜捨された米、昨夜の宴会でのお礼の品物などが詰め込まれている。貯まった米は、旅の途中にある米屋で換金した。なかには「瞽女の百人米」といって、目の悪い人、体調のよくない人のいる家の米と、喜捨で得た米とを交換した。瞽女が得た米を食べると、目の病が直り、体調が良くなると信じられていたようだ。

瞽女に課せられた掟とは

 高田瞽女最後の座元である杉本キクエから、多くの啓示や天啓を得た。「わたしらの商売は、人様の情けで食べさせてもらっているんだから、正直にさえしていれば、見捨てられることなんてないですからね。これが因縁というものですよ。わたしらのさ」もその1つだ。

 高田瞽女にはさまざまな規則(掟)がある。それに従っていればこの世界で生きていくことができた。掟の最高刑は「年落としの刑」だ。子どもを孕んだり、座から逃げた瞽女は、逃げた年数により修業年数が削られた。瞽女の世界では修業年数が瞽女の立ち位置を決する。年下でも修業年数が本人より多い場合には、「姉さん」と呼ばなくてはならない。掟破りをして修業年数が削られると、これまで「姉さん」と呼ばせていたのを、逆に「姉さん」と呼ばなくてはならなくなる。これは瞽女にとって屈辱的なことである。ところが杉本キクエの師匠だった赤倉カツは、4人もの子どもを産みながらその都度杉本家へ戻った。戻れば17件の瞽女屋敷の主に詫びを入れなくてはならない。

 もっとも悪質な掟破り(とくに男をつくって逃げる)は、「座」からの追放だった。男に棄てられれば「はなれ瞽女」として生きていかなくてはならない。それは「死」を意味した。どれほど多くの「はなれ瞽女」が生まれ、死んでいったことだろう。赤倉カツだけはどんなに修業年数を削られても平然として生き延びた気丈な瞽女だった。

 「瞽女の世界では、女であり、明確に女であることを売り物にしていながら、一方で、女であることを棄てさせられた。相反する矛盾の中に瞽女個人を置くように命じた。多くの瞽女に、ふたつの間を振り子のように往き来しながら生きることを強いたのだ。『掟』をまもり『座』をまもることが、結局は自分がまもられる最良の方法であることを知り尽くしていた」(『瞽女の世界を旅する』)としている。

    瞽女の座が廃れたのは、何といってもラジオやテレビといったマスメディアの発達が大きい。スイッチを入れればあらゆる娯楽を見聞きすることが可能となった。瞽女唄という娯楽を、数里の道を歩いて届けるという時代は過ぎた。交通の発達、経済的豊かさが都会への進出を容易にし、瞽女唄とは比較にならない豊穣な文化に接することが可能となった。そこにはもはや瞽女を必要とする生活はない。今度の取材で判明したことだが、今でも瞽女を崇拝する人がいた。それも比較的若い層に多い。うれしいかぎりである。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第120回・前)
(第121回・前)

関連記事