2024年04月19日( 金 )

知っておきたい哲学の常識─日常篇(1)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

間違ってもいい、決断したら迷うな

空振り イメージ    誰しも一定の年齢に達すると、自分の生き方、自分の考え方の基礎を固めたくなる。そんなことはない、自分は何も考えずにただガムシャラに生きる。そう思う人もいるだろうが、その「何も考えずにただガムシャラに」がすでにその人の哲学だろう。ただし、口でそう言ってもそういう生き方をしていないのなら、それは哲学でも何でもない、ただのホラである。

 ここでいう哲学とは生き様というべきものである。学問としての哲学ではない。「私はこう生きています」という程度のものだ。もちろん、そういう自分を見つけられない人もいる。そういう人は成功しても自信がつかないし、失敗すればなかなか立ち直れない。

 17世紀のヨーロッパにデカルトという人がいた。この人は近代哲学の創始者とも呼ばれ、学問としての哲学を前進させた人だ。いろいろ批判もされているが、批判はついて回るのが世の習いである。

 彼は学問のことばかり考えていたわけではない。軍隊に入った経験もあるし、いろいろな職人と話し合う機会もつくり、世の中を広く学んだ人だ。あるときは決闘までしている。ひとりの女性のために、恋敵と決闘をしたというのだ。彼には彼なりの生き様があったということで、その生き様が彼の学問とつながっていた。

 デカルトの生き様はどういうものだったか。彼自身の言葉でいえば、「決断したら迷うな」である。だから、男らしく決闘までした。哲学者といわれる人で、決闘をして勝ったなどというのは彼ぐらいではないだろうか。宮本武蔵とほぼ同時代の人だ。

 デカルトはいう、「森の中で道に迷ったらどうするか。一刻も早く森から出なくてはならないが、道がいくつかあって、どの道を選んでよいかわからない。そういうとき、自分ならこれとひとつ決めて、その道をただひたすら歩む。正解かどうか、どうせわからないのだから、迷わないほうが良いに決まっている」と。これが彼の生き様、彼の哲学だ。

 アメリカの大リーグで首位打者になったことのあるミラーだかマイラントだか、名前をよく覚えていないがその人がこう言ったのを聞いたことがある。「バッターボックスに入ったらピッチャーの顔を見て、そうかカーブで来るんだなと予測したら、もう迷ってはダメだ。カーブが来なかったら空振りするだけのことさ。その後、次の球はまたカーブか、それとも直球か。またピッチャーの顔を見て決めて、また思い切り振る。そうすれば、3回に1回はバットの芯に当たるよ。これで3割が確保される。」

 本当にカーブが来るかどうかはわからないが、カーブと決めたらそれを待って迷わない、それが三割打者になる道だというわけだ。

 相手側のバッテリーもそういう打者の性格を見抜いて、裏をかくだろう。ところが、この大打者に言わせれば、そんなことは関係ない。一球ごとにピッチャーの顔を見て、次は直球と思えば、今度は直球を待つ。それが外れたら「残念でした」となるが、統計に頼るよりも「一度決めたら迷わない」のほうが実践では役に立つというのである。一理も、二理もあるのではないか。

 彼のバッターとしての信念は「ストライクは必ず振る」だったそうだ。すると、3回に1回はバットの芯に当たるというのだ。3回振って3回芯に当たることは所詮不可能である。そう心に決めて、振って、振って、振りまくればいつか必ず当たるというのだ。

 逆にいえば、見逃しはいかんということだ。見逃しては、当たることがないからだ。当たるには運もいるが、振らなければその運も来ない。

 ここまで書いてきて、1万円札の福沢諭吉を思い出した。幕末明治に活躍したあの日本近代化の先覚者・福沢である。彼の哲学は「ままよ浮世は三分五厘。失敗しても我が身一人の不調法」である。「世の中ってたいしたもんじゃない。三分五厘の値打ちなんだ。だから思い切りやるさ。失敗したって、俺ひとりが損するだけじゃないか」という意味である。何ともすがすがしい言葉だ。

 好打者であっても3割がやっと。ならば空振りしてもかまわん。福沢はこの哲学で幕末明治の波乱に満ちた時代を生き抜いたのだ。今年のWBCで、西武ライオンズの山川選手は、デットボールを食らっても平気な顔で塁上に立ったチェコの選手を「かっこいい」と思ったという。私には福沢のあっけらかんとして迷いのない姿がかっこいい。

 若いころ私は予備校講師をしたことがある。あるとき受験生たちに余計な(?)ことを言ってしまった。福沢の「ままよ浮世は」を借用して、「入試に失敗したところで深刻になってはいけない」と言ったのだ。それがモニターを通じて経営陣の知るところとなり、「合格必勝」を掲げなくてはいけないのにと言われ、即刻クビになった。受験生にためになることを言ったつもりだったので多少がっかりしたが、すぐ立ち直った。現実は合格か不合格のどちらか。その現実を否定して努力しても、何にもならないと知っていたからだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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