2024年05月19日( 日 )

知っておきたい哲学の常識(21)─西洋篇(1)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

西洋哲学の父は誰か?

古代ギリシャ イメージ    西洋哲学の父といえばソクラテスと思う人も多いだろう。いや、プラトンから西洋哲学が始まるのだという人もいる。しかし、後々まで西洋人の常識として居すわったのはパルメニデスである。

 パルメニデスなど聞いたこともないという人は多いだろう。彼についてはあまり資料が残っていないし、最近まであまり取り沙汰されなかった。しかし、彼以前と彼以降で西洋哲学は大きく変わった。その影響は現代の欧米にも残っている。

 彼の言ったことはたった2つだけ。1つはこの世界はたった1つの元素からできているという一元論。もう1つは存在しないものについては考えるな、というものである。この極端な思想が西洋を貫いて2600年。考えれば考えるほど、不思議に思えてくる。

 この世がたった1つの元素でできている? 冗談じゃない、この世には100以上の元素があるじゃないか。しかし、その100以上の元素もそれぞれを分解してみると同じ原子から成っている。

 原子の中身がどんな物質でも同じというのはにわかには信じ難い。しかし、原子を構成する微粒子は陽子・中性子・電子の三種類しかないと決まっている。本当なのか?「はい、本当です」と科学者は異口同音にいう。

 さよう、科学者はこの世界をできるだけ数の少ない要素で説明し切ろうとする点で、多かれ少なかれパルメニデスの子孫なのだ。

 現代の物理学はこの宇宙には重力と電磁力と、そのほか2つの力が働いているという。しかし4つでは多いので、実はたった1つの力なのだと力説する学者もいる。すべてを1に還元したがるパルメニデス派はいまだに勢いがある。

 耳にタコができるほど聞くグローバル化は、経済システムを世界中1つにまとめ上げてしまおうという考えである。文化のちがい、社会のちがいを超えて人類は1つ、地球は1つと主張する凄まじい考えだ。この考えが現代世界を動かし、その恩恵を受ける者もあれば、悲惨な目に遭う者もいる。これに暴力的に抵抗する者も現れて、テロリストと呼ばれている。

 多様性あふれる世界をたった1つの元素に還元したがる現代のパルメニデスたちは、それによって巨額の富を獲得できると信じている。それが可能となるには多数の人類が犠牲になることなど顧みもしない。

 先にも言ったが、元祖パルメニデスは「存在しないものについては考えるな」とも言った。この世には存在するものと存在しないものがあると2つに分けて、前者のみを考えよと言ったのである。

 存在するものと存在しないものとは、簡単にいえば、生者と死者のことだ。パルメニデスは生者しか考えず、死者は闇に葬り去ろうとしたのだ。考えるとは光を当てること、生者にのみ光を当てよう。死者は闇に眠らせ、そこに光を当てないほうが良いというのだ。

 幽霊を信じない人でも、この考え方には抵抗を感じるだろう。死者がこの世を去ったにしても、あの世で生きている可能性がないわけではない。今のところ科学的には証明できていないだけである。

 パルメニデスがそういうことは考えるなと言ったのは、死者を存在として認めないと言いたかったためである。その考え方が長く西洋において引き継がれ、今日に至っている。

 先日福岡で、欧米の大学で長年教鞭をとった後ようやく母国に戻った韓国人女性に会った。彼女が言っていたことで印象に残っているのは、韓国では葬儀に1週間をかけるが、欧米ではそれが極端に短いということだった。彼女が父親を亡くした時も、1週間ゆっくり亡き人に別れを告げることができて大変ありがたかったという。欧米では人が死ぬとすぐ葬儀を済ませるが、これは死者への敬意がないからだと言っていた。

 なるほど、洋の東西は死というもの、死者というものへの態度が異なるようだ。パルメニデスはその意味でいかにも西洋的なのだ。

 『ラスト・サムライ』というアメリカ映画があった。トム・クルーズ扮するアメリカの軍人が明治初期の日本にやってきて、渡辺謙扮する武士に「最後のサムライ」を見つけて感動するという話だ。

 明治政府は武士から刀剣を奪い、それに逆らう武士たちを西洋式大砲で処分していった。それに抵抗して最後まで武士の名誉をかけて戦い潔く死んでいく侍魂に、このアメリカ人は感動したのである。

 では、そのアメリカ人は「最後のサムライ」と共闘し、自らも命を落とそうと思ったかといえば、もちろんそんなことはない。無傷で故国に帰るのである。

 明治天皇にそのサムライの死について問われても、彼はそのサムライがいかに生きたかしか語らない。死についての認識が完全に欠落しているのだ。

 「武士道は死ぬことと見つけたり」は『葉隠』の言葉だが、そこまで張り詰めなくとも、死は生と同じ重さをもつ事実だ。パルメニデスのように死から目を背けるのでは、この世のバランスは保たれまい。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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