2024年07月21日( 日 )

知っておきたい哲学の常識(38)─現代篇(8)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

脱構築ってなに?

パリ イメージ    パリで一度だけ、デリダの講義を聴いたことがある。エイズ、人種問題、聖書、フロイトと、さまざまな話題を関連づけて話していた。その流れは自然で無理がなかった。

 終わってみれば、最前列に3人のアジア人がいる。服装としぐさから日本人だと思った。講堂を出ようとすると、3人のうちの1人がこちらに手を振る。出口で立ち止まり、その人がやって来るのを待った。

 そうか、栃木出身のHさんだ。パリでガイドの仕事をしつつ、哲学の勉強をしている人だ。「毎月1回、デリダの講義を聴きに来るんです。欠かしたことはありません。もう10年になりますよ」と挨拶がわりに言った。

 あとの2人も誘って、4人で近くのカフェに入った。しかし、Hさんはコーヒーではなくビールを4人分頼んだ。午後の3時に、「乾杯しましょう。デリダを祝して」と。

 デリダを祝すという意味は分かりかねたが、どうやらこの3人、毎回デリダを聞いた後、同じカフェで乾杯するようだった。なるほど、デリダ・カルトの儀礼なのだ。

 デリダはそれほどにも人を惹きつけるのか。アメリカでも「およそ思想を語る者なら、デリダを知らなくてはならない」みたいな風潮があるようだ。日本ではそれほどでもなく、むしろフーコーの方が人気がありそうだ。しかし、大半の日本人にとって、デリダもフーコーもどうでもいい存在だろう。

 デリダの本は難解である。なんで簡単なことを言うのにあれほど難解にするのかと思う。むろん、そこに戦略があるのはわかるのだが、もっと上手にできないものか。

 デリダのキーワードは脱構築である。脱構築とは構築されたものから脱け出すということだ。しかし、原語のdéconstructionからすると、構築を無にすること、あるいは解体することを意味する。

 世界は構築物に満ちている。都市、ビル、マンション、学校、病院もそうだが、政治システム、経済システム、法律などすべて構築物だ。これらを解体するとは。

 デリダによれば、西欧という概念も構築物である。構築物であるからには骨組みがあり、その骨組みを解体するにはそれをまず分析すべきだという。

 西欧の骨組みとは、彼曰く、論理中心主義、音声中心主義、意味中心主義、そして自己中心主義である。これらは互いに連動して1つのシステム、すなわち構築物となっている。

 西欧人は好むと好まざるとにかかわらずこの構築物のなかで考え、行動する。そこから脱却せよ、と彼はいうのだ。

 では、脱却すれば何が生まれるのか?この構築物のなかにいてそれを支えている人々は、自分と構築物のあいだに隙間あるいはズレを見つけ、そこから自由を得られるというのである。西欧では、自由とはシステムに対立し、それを破壊する、あるいは修正する試みから得られると信じられてきた。ところがデリダは、ある組織に問題があるとしたら、その組織を潰そうとするよりは、その内奥に入り込んで、骨組みを解体した方がいいと考えたのである。

 ところで、デリダがいう西欧の自己中心主義だが、どの社会も自己中心ではないだろうか。北米先住民のイヌイットは自らをイヌイットすなわち「人」と称し、自分たちが「人」で、あとの人類は「人でなし」と思ってきた。日本人だって、「日本人」か「外人」か(最近は外国人と言い換えているが)の二項対立から一歩も出ないでいる。そういう思考システムは間違いなく構築されたものであり、私たちはその囚人となっており、しかもそれに気づかないのである。

 デリダのいう西欧から日本を考えると、日本は自己中心を除けば、西欧とは大きく異なる。論理中心でも音声中心でもないし、意味中心でもない。感覚中心であり、ヴィジュアルであり、意味のはっきりしない記号を楽しむ習性があるからだ。

 アメリカはというと、ヨーロッパの伝統を引き継いではいるものの、そこからズレている。その意味でヨーロッパを脱構築しているのだが、彼らは別の構築物をこしらえており、それに縛られている。文化というものは人類に不可欠とはいえ、どの国も、どの社会も、それを構築することでその奴隷となるのである。

 デリダが言いたかったのはまさにそこで、構築されているものを自然なものと受け止めるかぎり、そこから逃れ出られないと言いたかったのだ。人間が抱く自然というイメージでさえ構築物。それを意識できるようにすること、それが脱構築の始まりなのである。

 こんなふうにデリダを理解してみると、彼が知らずに仏教に近づいていたことが見えてくる。「色即是空」とはまさに脱構築を言っているように思えるのである。「色」は構築物、構築物は実は「空」っぽ。デリダの難解な翻訳を読むよりは、仏典でものぞくほうがよさそうだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

(37)
(39)

関連記事