2024年04月29日( 月 )

「サロン幸福亭ぐるり」から見た、日本の高齢化社会の現実(前)

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ノンフィクション作家 大山 眞人

 運営する高齢者の居場所「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)が、私が住む公営住宅集会場で産声を挙げたのは、2008年夏。その5年後に隣接するUR空き店舗で再オープンしてから11年。今夏で16年目を迎えた。これまで延べ4万人以上が来亭し、30人余の常連客が旅立たれた。たった33m2の空間だが、そこに集う高齢者の抱えるさまざまな問題は、高齢化する日本社会の縮図のようだ。

認知症をカミングアウト

サロン幸福亭ぐるり イメージ    最近「ぐるり」で顕著なのが、認知症の問題である。常連客の1人だった香川涼子(仮名)さんが来亭し、銀行のATMの操作がわからなくなったと言った。現場に呼ばれた次女が、銀行と交渉してカードを返却。以降は現金を次女が直接母親に手渡すこととした。

 その彼女がある日、「私はときどき自分の帰る家がわからなくなります。どうか、皆さん助けてください」と入亭者の前でカミングアウトしたのだ。認知症になってもプライドだけは失われることはない。自分が認知症であることを他人に悟られることを恥と考える人が大半だ。香川さんにプライドがないわけではない。「人前でみじめな自分をさらけ出したくない。それなら公表する」ことが彼女のプライドなのである。私は「認知症を公言した人」に始めて会った。感動した。

 仲間は動いた。誰言うとなく香川さんを送り迎えしたり、一緒に買い物をしたり、家の冷蔵庫をチェック(賞味期限の切れた食材で溢れていた)したり、一緒に食事をしたりするなどした。香川さんの表情に明るさと柔らかさが増し、認知症を患っているとは思えない日常が続いた。

 香川さんは、「このまま皆さんと一緒に(見守られながら)暮らしたい。でも、正直皆さんに迷惑をかけているのではないかという気持ちもある。娘たちにも家庭がある。それを背負いながら母親のことを考えてくれている。入所費用だって用意してくれると言っているし…」と。

 私は直接長女に電話して提案した。「みんなでお母さんを見守ることが生きがいになっている。このまま続けさせてもらえないか」。認知症の高齢者を同じ高齢者がサポートすることに、“棄老”を避ける“鍵”があると判断したからだ。これがうまくいけば、「地域で高齢者や生活弱者を支える」という高齢者相互扶助システムを稼働させることが可能になると期待した。

 しかし、「娘として皆さんに迷惑をかけることは心苦しい」と言い、入所を優先させた。香川さんは「お別れ会をしたいから、入所日が決まったら教えて」という私の言葉を遮り、「私は見送られることが嫌いです。だから、人知れず消えます」と言って、ある日忽然と姿を消した。

コミュニティとは、
迷惑をかける、かけられる世界

 桜井政成(立命館大学教授)は、桜井研究室のブログにおいて、「コミュニティとは、迷惑をかける、かけられる世界です」と述べている。拙著『親を棄てる子どもたち 新しい「姨捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)のなかで、自分が認知症であることをカミングアウトした香川さんについて、「わたしはこの香川さんの姿に、なんて強い女性なんだろうと思いました。ひとりで生きていくしなやかさ、したたかさを身につけておられる。要は、助けられる覚悟が必要なのです」と述べ、「自分に自信のない人間は、ヘルプすら出せません。自分が他人にとって、助ける価値のある人間とも思えないから」「“助けを求める”には、自分が助けてもらえるだけの価値が(他人にとって)ある、という自己認識が必要で、自分の存在など他人には路傍の石みたいなものだろうと思っている人間にはかなりハードルが高い行動なのではないでしょうか」と香川さんの“覚悟”を高く評価した。

 助けることには、自己犠牲がともなう。困ったときはお互い様といいますが、コミュニティのなかで日常のさまざまな場面においては、助けることは一方的な行為になりがちです。アンパンマンは顔を分け与えて、徐々に削られていきますが、アンパンマンでない私たちでも、顔ではない何かがすり減っていくということを実感することがあります」「コミュニティ活動では、やらない人ほど好き勝手をいう。コミュニティ活動のインフォーマルな助け合いは、根気と覚悟が必要。「コミュニティは、迷惑をかける、かけられる世界であることを覚悟すべきだ」と提言する。

地域ケアシステムの盲点

    「ぐるり」の来亭者に、地域包括ケアシステムのことを紹介したときのことだ。「寝たきりになったら、一番心配なことは何か」と聞いたことがある。独居・家族同居には無関係に、ほぼ全員が「緊急時の夜間の往診(訪問診療)」を挙げた。「救急車を頼めばいい」という声もあったが、重度の要介護者が体調変化のたびに救急車を要請するのも非現実的だ。介護保険制度では訪問介護(看護)や入浴、リハビリ、各種施設入所などを基本に据えながら、緊急時の看護士(医師)の往診(派遣)もすでに実行に移されている。問題は、その事実を市民も関係部署も十分に把握していないことである。

 地域包括ケアシステムは、1989年6月、「地域における医療及び介護の総合的な確保の促進に関する法律」としてスタートし、2014年6月25日に最終改正された。その第一条に、「地域包括ケアシステムの構築」が明記され、第2条に「地域ケアシステムとは、地域の実情に応じて高齢者が可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように、医療、介護、介護予防、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制をいう」と明記されている。「住み慣れた自宅、地域…」と心地良い文言が並ぶが、本音は、特養などの公的な施設の増設・新設が今後見込めない状態で、急増する重度な要介護者を自宅で看る以外に高齢者医療費削減の決め手がないからだ。

 私が住む市の場合、地域を14に分けてそれぞれに地域包括支援センターを設置。同時に地域ケア会議という組織を設けている。地域包括支援センターを中心に、ケアマネージャー、民生委員、NPO、ボランティアグループなどを取り込んで、各地区に存在する高齢者問題を洗い出し、共通認識をもつなかで、地域で解決を図ることを目的としたものだが、この地域ケア会議の認知度もまた低い。

 地域包括ケアシステムは、生活支援・介護予防サービスの担い手や、地域の支援ニーズと地域資源(人材など)掘り起こしを行う協議体の設置と生活支援コーディネーター(地域支え合い推進委員)の配置が義務づけられている。いわゆる新システムを牽引するプロの集団である。当然、介護の知識、経験豊富な人材が求められる。彼らには相応の対価が支払われる。

 地域包括ケアシステムは、福祉の窓口(行政)主導で進められ、地域ケア会議と地域包括支援センターを“核”に進められてきたように見える。しかし、これを利用する(重度な要介護者・介護する家族)側からみると、様子が違ってくる。彼らにとっての最大の不安は、「夜中の急変時に主治医が往診してくれるか否か」と、それ以降の具体的な介護の実践である。この視点から考えると、“新システム”実践の実質的な推進は、行政(福祉部と地域包括支援センター)よりも、病院・介護施設を中心とした医療関係者が主導する構図にならざるを得ない。

(つづく)


<プロフィール>
大山 眞人
(おおやま・ まひと)
1944年山形市生まれ。早稲田大学卒。出版社勤務を経てノンフィクション作家に。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』(文藝春秋)、『老いてこそ2人で生きたい』(大和書房)、『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)、『克って勝つ―田村亮子を育てた男』(自由現代社)、『団地が死んでいく』(平凡社新書、)『騙されたがる人たち』(講談社)、『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)、『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(平凡社新書)、『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

(後)

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