2024年05月11日( 土 )

愛する子どもを配偶者に連れ去られた(3)敏也の場合(中)

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 前回のあらすじ
 モデルコンテストに出場してから生活態度が急変した妻K子は、家を出ていくことになった。しかし、夫・柚木敏也(仮名、40代。以下、敏也)の仕事中、妻とともに娘も出ていき、その後、息子も妻のもとに連れ去られた。

 家庭裁判所の審判では、連れ去り後の養育状況に問題がなかったため、継続性の原則と、母性優先の原則により、妻K子が引き続き養育することになった。
 1月終わりの別居後に敏也が子どもたちと面会交流したのは2月上旬の1度きり。それ以降、間に立つ義父らの約束反故によって、長く面会交流できない状態が続く。

イメージ    2⽉下旬、敏也が1人で暮らす自宅から毎⽇少しずつ妻K子や⼦供たちの荷物が減っていたり、家族以外の⼈間が侵⼊した形跡があった。ある日、仕事から帰宅した際、義父が⾃宅に娘を連れて侵⼊し、妻の⾐類などを回収にきている場⾯に遭遇した。敏也は「いつになったら⼦供たちを家に帰してくれるのか」と問いただし、⼟下座をして子どもたちを返すようにお願いしても、義父は「今⽇は荷物を取りにきただけ」などと言ってまったく取り合わなかった。

 3⽉上旬、家裁での調停1回⽬。経緯とお互いの主張の聞き取りが行われた。

 3⽉中旬、その後も自宅への侵⼊の形跡があり、家財が⽇に⽇になくなっているため監視カメラを設置したところ、義⺟が⾃宅に侵⼊した様⼦が記録された。代理⼈弁護⼠経由で相⼿⽅窓⼝の義⽗に連絡。今後、荷物の搬出などは事前に連絡をいただければ都度、対応するので無断での侵⼊はやめるように伝えてもらった。

 数日後、敏也の代理⼈弁護⼠事務所にて、義⽗に事件の経緯や状況の説明・説得をする予定だったが、アポイント無しで急遽K子も⼀緒に事務所に乱⼊し、⾃⾝の主張を⽮継ぎ早にまくし⽴てた。結果、当初予定していた義⽗への説明などはできずに終わった。

 3⽉下旬、娘が⾃宅に泊まりに来る約束だったが、当⽇に義⽗からの連絡でキャンセルされた。娘は2 ⽇ほど前まで父親(敏也)と会うのを楽しみにしておりLINE でしりとりなどをして遊んでいたが、義父は「(娘が)急に会いたくないと⾔い出した」とキャンセルの理由を告げた。

 4⽉中旬、義姉とともに息⼦が突然帰宅。2カ⽉ぶりの再会に敏也は感極まって、涙を流しながら息子を抱きしめた。聞くと遠⾜に使うリュックサックを取りにきたとのことで、5分⾜らずの束の間の交流だった。

 数日後の調停2回⽬。K子は⾯会交流についての話し合いを拒否した。話の窓口を義⽗に指定するが、義⽗は「⼦供たちが会いたがっていない」の⼀点張りで話は進まず、5月上旬から家裁の調査官が調査することになった。また、同時にK子は毎⽉10万円の婚姻費⽤を請求してきた。

 5月中旬、調停 3 回⽬。⾃宅に残された⾼額な買い物の領収証などから妻に浪費の傾向があることを知った敏也は、婚姻費⽤が⼦供たちのために使われない可能性を考え、K子の経済状況などを教えてもらうように主張。また、実質⼦供たちの監護に当たっているのは義⺟であるため、婚姻費⽤の⽀払いは義⺟に対して支払うことを提案する。後日発覚するが、このときK子は、自身の経済力の説明として「国⺠健康保険に加⼊している」と話していたが、実は加入していないことが後に分かった。

 敏也は同居時にK子に預けていた家計用の通帳を改めて確認したところ、別居開始までの約1年半の間に、通常の⽣活費として使⽤する範囲を⼤きく超えた莫⼤な⾦額の出⾦が確認された。⽣活費、住宅ローンなどの⽀出を除外した約500万が使途不明だった。

 6⽉下旬、調停4回⽬。K子の要求通り毎⽉10万円の婚姻費⽤の⽀払いが決定。

 数日後、敏也が勤務先からスマートフォンで監視カメラの映像を確認したところ、⼦供たちが義姉に連れられて⾃宅に帰ってきている映像を確認。義姉に電話すると、友達と⾃転⾞で遊びに⾏くと⾔って急遽、学校から帰ってきたとのことで、もしかしたら会えるかもしれないと、仕事を早く切り上げて帰宅。⾃宅マンション前で息⼦と会った。

 敏也は後に知ったことだが、息⼦はこの直前に調査官の⾯談で敏也のことを嫌悪しているような発⾔をしていたので、遭遇した瞬間、息子はバツの悪そうな態度だったが、いざ話してみると以前と変わらない様⼦で短い時間ではあったが何気ない会話を交わすことができた。

 7⽉上旬、家裁調査官の調査報告書が届いた。報告書によると息⼦は敏也に対してかなり厳しい発⾔をしていた。しかし、別居前の敏也と息⼦の関係性や、先月に会ったときの様⼦からして本⼼ではないと思われた。

 7⽉中旬、調停5回⽬。調査報告書の結果は、まずは子どもたちと父・敏也との⾯会交流を充実させることが重要という調停委員の判断だった。しかし、K子も義父も話し合いに応じようとしない。

 9⽉中旬、調停 6 回⽬。進展無し。

 10⽉上旬、状況が進展しないため、敏也はK子の親族に連絡。そこで聞いたことは、K子は⼦供たちの監護を義⺟に頼り切っており、そのために義⺟は強いストレスを抱えてK子たちに家から出ていくよう求めていたことだった。K子らは一度家出していることや、公営団地の申し込みにも落ちていたことが分かった。

9カ月ぶりに自宅で面会が実現

 10⽉下旬、調停 7 回⽬。突然、K子から提案があった。今後は毎⽇、⼦供たちを下校後に帰宅してしばらく過ごさせ、⼣⽅頃に迎えにきて実家に連れて帰るとの提案だった。ただし、その条件として自宅の監視カメラを外し、離婚調停を取り下げることを要求した。敏也は条件を受け入れ、数日後から下校時の子どもたちの帰宅が実現することになった。

 約束の帰宅開始日、敏也は自宅で子どもたちの帰宅を待っていたが、いっこうに学校から帰ってこない。代理⼈弁護⼠経由で義⽗に連絡したところ、「⾏けなくなった連絡をするのを忘れていた」「子ども達はやはり会いたがっていない」と、変わらない主張でまたしても約束を破られた。

 10⽉末、⼦供たちとの⾯会交流が実現しないことに痺れを切らして、せめて姿だけでも⼀⽬⾒ようと、下校時間に⼩学校の⾨の前のコンビニ駐⾞場で待機していたところ、迎えにきた義⺟の⾞を発⾒。そこへ下校した⼦供達⼆⼈もやってきた。敏也は義母と子ども2人に近づいて話しかけた。まず、下校後に⾃宅に帰ってくることになっていることを伝えると、義⺟も⼦供たちもその話を知らなかった。義⽗は「ずっと説得はしているし、これからも説得していくから信⽤してほしい」と言っていたが、それが嘘だったことが発覚した。

 義⺟はその場で⼦供たちにどうするかを確認すると、2⼈ともいったん自宅に立ち寄ることに同意した。このとき、約9カ⽉ぶりに⾃宅での交流が実現した。自宅への侵入ではなく9カ⽉ぶりに堂々と⾃宅に帰ることができた⼦供たちは、⽔を得た⿂のごとくのびのびと遊び始めた。

 久しぶりの我が家を懐かしがる様子を見て敏也は、家に帰りたいのにそれをいえない状況での⽣活を余儀なくされていることを感じた。娘が「楽しい」と無意識に感情を口からこぼしたので、敏也は「家に帰ってきたかったら、いつでもママに⾔うといいよ」というと、娘は、「⾔えるわけないやろ…」と呟いた。

 敏也はその⼀⾔で⼦供たちがどんな状況に置かれているか想像するとともに、K子よりも子どもたちのほうが⼤⼈の感覚をもっているように感じた。義⺟と約束した帰宅時間が迫っても、子どもたちは次々に、「あれをしよう、これをしよう」と遊び出すので、かえって敏也のほうが焦ってしまうほどで、やはり⼦供たちは⾃宅に帰りたがっているのだと痛感した。

 11⽉中旬、敏也は子ども達の運動会を観に⾏ったが、義⽗とK子の姿を発⾒したため、⾒つかると揉めると思い、距離を取って運動会を観覧した。

 数日後、下校後に再び校⾨で待機していたが、その⽇は下校時間が通常よりも早かったために会えずじまい。別の日、下校時間に校⾨前の駐⾞場で待機していると、迎えにきたのがK子本⼈だったため、敏也は揉めごとを避けてそのまま帰宅した。しかし、帰宅後に警察から電話があり、K子がコンビニ駐⾞場で敏也を⾒かけただけで警察に連絡したことが分かった。

 11⽉下旬、調定8回⽬。K子が激怒したため協議はまったく成⽴しなかった。激怒した理由は、先日、約束で監視カメラを外した後に、またK子が勝手に⾃宅から荷物を運び出そうとして侵入、しかし敏也が荷物を別の部屋に移していたため、荷物を見つけられなかったためだ。

 K子は、「荷物を全部勝手に捨てられた」と主張していた。そのほかにもK子の要求で取り下げた離婚調停の再開をその場で迫ったり、離婚届を出して、「離婚しなければ子どもには合わせない」と主張するなど、まるで話にならなかった。

 敏也は、約束を破って再度住居侵⼊をされたことや、そのために嘘をついて監視カメラを外させたことなどを知り、自身の身の危険も感じ始めたことから、調停後に警察に相談に⾏った。その後、⾃宅マンションのドアのカギを急遽変更し、監視カメラも再び設置した。

 その後、敏也は妻K子を未成年者略取誘拐罪で警察に告訴した。

(つづく)

【寺村 朋輝】

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