2024年03月29日( 金 )

礒山会頭なぜ?身上の気配りは何処へ消えたのか(前)

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スクープでない、世論づくりの誘導だ!!

礒山 誠二 氏

 5月26日朝日新聞朝刊によると『福商会頭 退任へ、礒山氏の後任 藤永氏有力』で報じられていた記事の骨子は「福岡商工会議所の礒山誠二会頭(66)は25日、朝日新聞の取材に対し、任期途中で退任する意向を明らかにした。『新しい会社の仕事に専念する』と語った」である。さすがだ。朝日新聞の記者は礒山会頭に直接、コメントを取っているのである。たいしたものだ。だが「この段階で礒山会頭が己の進退を明確に断言するのは如何なものか!!」と問いたい。この問題に関しては(1)のテーマとして後で論じる。

 まず、前回も本コーナーで「無知な記者」ということを論じた。産経新聞、西日本新聞が「礒山会頭、辞任へ」の記事を報じた。担当記者たちは「スクープした」と自己陶酔したことであろう。冷静に考えれば読者は次のように判断する。「礒山会頭潰しを願う天の声に迎合したに過ぎない。世論づくりの片棒を担いだに過ぎない」と。

 ただ「無知な記者」にも運がついていた。諌山会頭が意志薄弱であったからだ。彼に気骨があり「西日本シティ銀行(以下、N行)人事と福岡商工会議所会頭人事は別物だ」と喝破しておれば「無知な記者」は大恥をかいていたのである。だが礒山氏が「銀行を外れるのだから商工会議所会頭を辞任するのが筋」と辞任表明してくれたおかげで恥をかかなかっただけの話だ。このテーマを(2)としよう。「無知な記者」諸君にもう一度、教えておく。「N行と福岡商工会議所の人事は別物」ということを。

緊急事態のおさらい

 14年6月、N行の人事で、本田正寛氏の会長退任が決定した。本田氏は福岡商工会議所の副会頭も辞任する運びとなった。そこで代わりに代表取締役副頭取であった礒山氏が副会頭に選ばれた。ここから同氏のビジネス人生の最高峰を極める事態に急発展する。

 緊急事態が起きた。前会頭・末吉紀雄氏が健康を害した。15年8月に辞任を表明したのである(16年1月逝去)。任期2期目10カ月足らずであった。ここで次の会頭決めが緊急になされて礒山会頭が誕生した。マスコミでは「組織トップ(代表権のある会長・社長)ではない、前例のない会頭の決定」と報じた。同氏を知る者たちは「礒山さんは非常についているな!!2番手であった男が商工会議所のトップに上り詰めた」と羨望していた。たしかにそうである。
 ここでは、「なぜ、N行トップの久保田勇夫会長に会頭就任要請をしなかったのか」に関しては不問にする。礒山会頭就任の要請にいった方々の証言によると「『緊急事態なのか!!残り2年3カ月をこなせばよいのか!!』と熟慮し、呟きながら久保田会長は承諾した」そうだ。そこで根本的なテーマの(3)は「礒山氏はどうして己の任務残余期間を2年3カ月と強く認識して動かなかったか」である。

 礒山会頭の2年3カ月の就任期間の勤務評定はいかに。100点満点の80点という合格点を下すことには誰もが認めるであろう。前々会頭・河部氏が商工会議所の地位をあげた功績、前会頭末吉氏の民主的な組織運営によって全体を活性化させた実績を踏まえてのことだが、現在の福岡商工会議所は元気が良い。会員も増加している。この具体的なデータから判断しても上記の合格点の評価は適切であろう。

元先輩・同僚の疑問

 「礒山さんの気配りにはいつも感服していた。とくに上司を喜ばせる対応ぶりには舌を巻いた。やりたくてもこちらは柄に合わないからマネすることもできない。また根回しに関しては天下一品」と評価するOBは、「だが今回だけどうして調整できなかったのであろうか?理解不能だ」と首を捻る。同氏は、「どうして2期目の会頭決定がなされる事前にトップ(久保田氏)との意見調整を為せなかったのか」と指摘する。

 別のOBも「産経新聞に『礒山会頭、退任へ』と見出しが載った時に嫌な予感を抱いた。何か軋轢が起きたと直感した」という。根拠として「人事時期でもないのに銀行中枢の人事を記者に漏らすことができるのはトップのみだから」だからだ。己の形勢不利さに関して、礒山氏自身は当然、意識していたはずなのだが、気配り男の最後の油断なのか。果ては慢心なのか!

(つづく)

 
(後)

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