2024年06月18日( 火 )

細石器の誕生~中石器時代の幕開け

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 「縄文道通信」を発行している(一社)縄文道研究所より、細石器の誕生に関する記事を提供していただいたので、共有する。

 後期旧石器時代における細石器の登場は世界を変える画期的な大発明であった。細石器とは小さく鋭い石器片(細石刃)を、槍などの先端に溝を入れて、そこにノコギリ状に並べてはめ込んだものである。その一部が損傷したり欠落したりした場合は、その部分だけ新しい細石刃と交換すればよい。小さくて持ち運びやすい細石刃を持ち歩けば、いつでも鋭利な状態で使うことができるのである。まさに天才的な大革命である。

 石器技術が新たな時代を迎えたことになり、細石器が登場した地域は中石器時代(中期旧石器時代とは違う)と呼ばれることになる。その技術はシベリアで誕生したと考えられてきた。

 ところがそれは誤りであった……。
A01班研究報告書 2017年度(PDF)

 33頁 「2.ヤナRHS遺跡とMIS3後半における人類活動の根拠」本文1行目から

 シベリアの旧石器時代研究では、北緯50度から55度にかけての、いわゆる南シベリアを中心にして長らく研究が進められてきた経緯がある。その中でモチャーノフらは、1960年代から、北緯55度から65度にかけてのアルダン川流域を主な対象として遺跡調査を進め、そこで発見された遺物群をもとにデュクタイ文化を提唱する。遺跡としてはイヒネⅡ遺跡やウスチ・ミリⅡ遺跡などがある。デュクタイ文化は細石刃技法の起源や新大陸への拡散にもかかわっていて大きな注目を集めたが、3万年前よりも以前にその出現が遡るとされた年代観については、データ解釈の妥当性をめぐって多くの批判を浴びるようになる。現在にいたるまでも良好なコンテクストで測定された証拠から、デュクタイ文化の出現年代が3万年前よりも以前になることを支持する事例は得られていない。ピトゥリコらの近年の見解では、デュクタイ文化が北東アジア諸地域にひろがり始めた年代は、放射性炭素年代でおよそ18,000~17,000 yrs BPであり、その初期の段階の年代がより遡ったとしても23,000~22,000 yrs BPより古くはならないであろうとしている。LGMおよびそれ以降の位置づけということになろう。

 ここで指摘されているのは、細石器の故地とされていたデュクタイ文化の年代が、遡ったとしてもLGM(最終氷期最寒冷期)がギリギリのところであろう、ということである。

 それに対して、1997年・98年度に行われた北海道千歳市の柏台1遺跡の調査結果が、これまでの認識を覆すことになった。恵庭a下降軽石層(En-a)下から初めて明確な細石刃石器群が出土し、その点数は約3,500点を超えた。

 問題はその年代である……。

 99年度考古学協会釧路大会発表要旨を出典とする、(財)北海道埋蔵文化財センターの福井淳一氏の『細石刃石器群の出現―柏台1遺跡―』は次のように指摘してている。

 これまでEn-aの下降年代は12000~15000y.B.P.とされてきたが、最近では16000~19000y.B.P.と推定されようになっている。

 幸い、この石器群を含むほぼ全ての遺物集中域からは、炉跡が良好な状態で検出されたため、14C年代測定(AMS法)により年代測定を行うことができた。(中略)測定された年代値の中央値から約20500y.B.P.とすることができる。
 (注:AMS法=加速質量分析法)

 しかも、この段階ですでに細石刃技法が確立されていた様相を示しており、細石刃石器群の出現はさらにさかのぼるものと考えられる。

 この研究が進められ、2020年度の研究報告が下記である。
パレオアジア文化史学

 46頁 左段2行目から

 「故地」とされる北海道の細石刃技術の出現は、確実な細石刃が検出された柏台1遺跡の年代を基準とし、LGMまで遡る。

 50頁 右段下から2行目から

 LGMを26,000-19,000年前ととらえるならば、北海道で最古の細石刃技術が確認された柏台1遺跡の年代が25,000-22,000年前となり、LGMの最中に細石刃技術が北海道に存在したことになる。

 つまり、細石刃技術の「故地」は北海道なのである。

 これまで、古代シベリアにはヨーロッパ系の文化が展開されていて、そこで誕生した細石刃技術が北海道に伝わったと考えられてきた。しかし、それは誤りで、日本民族が北海道で誕生させた細石刃技術がシベリアを経由して世界中に拡散されていったのである。

 そもそも後期旧石器時代である最終氷期には、ヨーロッパ人は中部ヨーロッパにすら住むことができずに暖かい南方に避難していたのである。シベリアになど1人もいないのだ。

 つまり、デュクタイ文化の担い手も日本民族でしかあり得ないのである。

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