2024年05月04日( 土 )

アメリカはどうしてイスラエルを支援し続けるのか?(前)

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広嗣まさし(作家)

 イスラエルは、世界を敵に回してパレスチナ自治区ガザを攻撃し続けている。ハマス根絶を目指すというのだが、地下テロ組織の根絶は難しい。そこで、パレスチナ人すべてをテロリストと見なし、性別も年齢も関係なく、次から次へ殺戮し続けている。

 イスラエル国内のユダヤ人の肉声を聞くことは、イスラエル政府のメディア・コントロールのせいで難しくなっている。私たちが耳にすることができるのは、アメリカやヨーロッパに住むユダヤ人の声で、彼らの中には「イスラエルの蛮行はユダヤの名を汚すものだ」と弾劾する者がかなりいる。

 無論、親イスラエル派のユダヤ人も多い。というわけで、ディアスポラ(=離散)を超えて連帯を求め続けてきたユダヤ民族が、ここに来て大きく2つに割れてしまったことになる。世界中のユダヤ人に支えられていると思ってきたイスラエルは、今やその意味でもたいへんな危機に面している。「墓穴を掘った」というべきか。

 それにしても、ユダヤ国家でもないアメリカのバイデン政権は、どうしてそこまでイスラエルを支持し続けるのか? 

 ユダヤ国家イスラエルが、アメリカのユダヤ富豪を介してアメリカ政府に圧力をかけているから、というのが一般的な回答である。だがそれなら、どうしてユダヤ富豪たちはそこまで政府に圧力をかけられるのか?

 アメリカという資本主義国家の根幹にユダヤ資本が深く入り込んでいるから、というのがその答えである。なるほど、共和党であれ、民主党であれ、かなりの程度ユダヤ財力に屈している。

 このことは何を意味するのかといえば、アメリカのユダヤ資産家のほとんどがイスラエルを支持しているということである。彼らが「イスラエルには呆れ果てた」となれば、アメリカ政府にさほど圧力をかけることもなくなり、アメリカはイスラエル援助をしなくなるだろう。実際には、彼らのほとんどがイスラエルに固執している。だから、アメリカ政府はイスラエル支援を続けるのだ。

 ヨーロッパやアメリカで巨大な富を築いたユダヤ人は、おそらくイスラエルが存在することで心の慰めを得られるのに違いない。それは神話であり、妄想でさえあるのだが、人間、そういうものがないとやっていけないのだ。

 もっとも、ユダヤ人は故郷を持たない状態で何千年も生きてきて、そのこと自体がユダヤ人らしさなのだと主張するユダヤ人もいる。しかし、誰しも心の故郷はほしいもので、その故郷を「イスラエル」という具体的な形でもつことで心の安定を得るのだとすれば、それもわからないではないのだ。

 しかし、神話というものは、それを歴史的現実の中で建設しようとするととんでもないことになる。近代日本の歴史がそのことを端的に示している。明治以降の日本人は、そのような民族国家神話を抱いた。上代の古典を礎にし、日本を「神国」とし、天皇を神格化し、対外侵出に乗り出すことに何のためらいもなかったのだ。

 イスラエルの現在はそういう日本と似ていなくはない。イスラエル出身の社会学者オッフェンゲンデン教授は言っていた。「日本の国家神道とシオニズムはよく似ている」と。

 イスラエルの建国神話はナチスのアーリア神話とも似ている。ヒトラーはアーリア民族を世界で最も優秀な民と確信し、この民族は人類の頂点に立たねばならないと考え、それを妨害するユダヤ人を抹殺する計画を立てた。似たような発想は、少なくともイスラエルの右派に見つかる。彼らにとって、パレスチナ人は神聖なるイスラエル国家建設の妨害者なのである。

 ところで、「イスラエルすなわちユダヤではない」ということは何度も強調せねばならない。ユダヤ宗教史の専門家ラプキンは、イスラエルの建国理念がユダヤ教の教義に反することを文献的に証明しているが、これは多くの伝統主義的ユダヤ教徒の主張と重なるものである。伝統派の長老たちは異口同音に「イスラエルをパレスチナ人に返せ」と言っている。

 最後に、ユダヤ民族の敵であるはずのイスラム原理主義者のイスラエル観を紹介しておこう。国際テロ組織アルカイダの一員とされるアメリカ生まれのボールセンは、イスラエルはユダヤ国家ではなく、反ユダヤ国家だと言っているのだ。なんとなれば、イスラエルは西欧世界の願望の実現であって、真のユダヤ人の願望の表れではない。イスラエルを支配する層はいずれもが西欧化したユダヤ人であって、本来のユダヤ人の心を裏切っているというのだ。

 ボールセンがユダヤ人を中東の宗教的伝統に生きる民と見ているのは興味深い。彼にとって、現代世界を財力で動かすユダヤ富豪は堕落したユダヤ人であって、本来のユダヤ人はもっとはるかに敬虔な民なのである。そういう敬虔な民ならば、アラブ人たちと共生できると彼は見る。イスラム=ユダヤの共存は、かつて中世で可能であったように、これからも十分可能というわけだ。

(つづく)

(後)

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