2024年05月04日( 土 )

日本余生のために国と自治体の関係性はいかにあるべきか(後)

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東京大学大学院 法学政治学研究科
教授 金井 利之 氏

 分権型社会を目指したはずの21世紀は、必ずしも自治体の自律性が花開いたわけではない。そのなかで、経済停滞・人口減少の縮減社会に向かい、いわば、発展途上国でもなく先進国でもなく、衰退途上国という新しい局面に入った。このようななかで国と自治体のあるべき姿をつくり出せるかが、日本終活のために求められている。

衰退途上国としての日本の終活

 21世紀は、日本が衰退途上国として、転落の一途をたどる過程である。それは、第2四半期も同様であろう。このようななかで、集権型国家・成長社会に固執するのが為政者である。亡びに到る道は広い。当然ながら、転落の一路であるが、転落すればするほど、為政者が威勢のよい虚策を打ち出し、成長社会への郷愁にこだわるようになるだろう。

 日本再生に活路はない。人々とくに現在の若い世代は、こうした末世を直感的に気付いており、もはや子どもをもたない。なぜならば、若い世代が次世代を生めば、その悲劇は次世代に引き継がれる。次世代さえいなければ、次世代に悲劇は起きないからである。若い世代が、日本のしんがりを務めるのである。

 若い世代を中心に、集権型国家・成長社会に呪縛された為政者を「支持」することが合理的である。こうした為政者は、経済成長・人口増加という成長社会の甘言を弄して、結果的には経済停滞・人口減少という縮減社会を加速するからである。そして、そのような日本終活は、若い世代の期待通りである。中高年層は成長社会への郷愁があるから、終活に抵抗して、さまざまな延命措置に固執する断末魔をあげる。しかし、その結果、転落が加速化されていく。自分が希望しないことを、あたかも違うことを希望しているつもりになって、積極的に受容し、推進するのが中高年層である。

縮減社会への理念転換

 経済停滞・人口減少という縮減社会は、予想しうる未来において所与である。成長社会への呪縛は必ず敗北する戦略である。そして、集権型国家に固執し、見せかけの経済成長・人口増加を演出したい為政者は、敗軍の将である。このままでは未来はなく、単に徐々に衰亡していく。しかも、きちんと現実を直視して、終活を積極的に進めるのではなく、成長を夢見ながら、悲惨な末路を迎えるという悲劇なのである。

 経済停滞・人口減少という縮減社会が所与であるならば、それを積極的に位置づける方向に価値転換するしか、活路はない。たとえば、環境重視・持続可能性、知足・謙抑・自制、貧しきを憂えず等しからざるを憂う、などの新たな価値観を打ち出すことしかないであろう。他にもさまざまなアイデアが求められている。もちろん、集権型国家の中枢を握る為政者が価値転換をすることができれば、それは1つの活路である。しかし、これまた予想しうる将来において、国の為政者は成長社会への固執をあきらめられない。

 たとえば、DX(デジタルトランスフォーメーション)や自治体戦略2040構想は、人口減少は認めたものの、依然として、デジタル化という魔法によって、生産性向上などができるという成長社会の呪縛のもとにある。

 世界的にデジタル化は進むし、日本も同様である。しかし、21世紀の日本がデジタル化を牽引できる技術力や創造力はない。それゆえ、経済再生もあり得ない。単に衰退途上国として、落伍しないように着いていこうとする(が引き離される)だけである。デジタル敗戦は今後も続く。そもそも、デジタル化は成長社会でも生じている現象であり、縮減社会にとって解決策を与える打ち出の小槌ではない。デジタル化は同時にさまざまな問題も生み出すからである。

価値転換と分権型社会

イメージ    国の為政者がアイデアを生めないときには、社会全体でさまざまなアイデアや価値転換を試みることが必要である。その意味で、縮減社会において、積極的な終活への価値転換を図るためには、分権型社会にしておくことが、本当は適合的であった。しかし、すでに述べたように、第1次分権改革は、あくまで成長社会の豊かさを前提にした改革であり、その意味では、価値転換のための改革ではなかった。それゆえに経済停滞に転落するなかで、分権改革の理念自体が空洞化した。その結果として成長社会と集権型国家への呪縛が再生した。

 もちろん、分権型社会でも、地域や自治体から新たな価値が必ず打ち出されるわけではない。むしろ、地域や自治体によっては、全国平均よりも厳しい状況に直面して、成長社会への郷愁をもちやすい構造もある。逆に、全国平均の厳しさとは異なる小春日和を享受して、成長社会の延長線上に居続けることも可能である。しかし、同じ状況に直面しても、局面が厳しいからこそ、必敗の成長社会論からの脱却を図るかもしれない。あるいは、豊かな地域社会であれば、成長への郷愁から自由になれるかもしれない。

 地域・自治体発の成長社会への郷愁は、国の成長社会への呪縛と相俟って、国からの集権的なお墨付きや支援を期待するようになる。成長社会と異なる方向性を打ち出した地域や自治体は、集権型国家の統制の下に置かれて、価値転換の芽が摘まれてしまう。つまり、21世紀第1四半期の集権型国家への逆流は、価値転換を困難にしてしまった。

 分権型社会は、価値転換への芽を育てる。とはいえ、分権型社会では、単一の価値転換を画一的にもたらすものではない。仮に、成長社会を否定する終活を目指すならば、国全体のビジョンとして何かを打ち出すことが必要になる。あるいは、可能になる時機はあるかもしれない。しかし、予測しうる21世紀第2四半期では、こうした方針が打ち出される見込みはない。むしろ、成長社会への郷愁を集権型国家の呪縛のもとで維持する可能性が高いだろう。また、それゆえに、為政者には分権型社会に移行する動機はない。とはいえ、自らの成長社会への呪縛に限界を感じることができれば、ある段階で分権型社会への転換を、今一度、求めることが必要になろう。

おわりに

 日本再生は簡単には見込めない状況にある。長期的な衰退は不可避であり、とくに、膨大な高齢者ストックによって、若年者には未来が開けず、それがますます、諦観と少子化を招き、さらに長期的な衰退を加速する。そのなかで、いかに成長への郷愁をもって、集権型国家が籏を振ろうと、年寄りの冷や水として、かえって疲弊と衰弱を早めるだけである。

 そうしたなかで、環境状況を踏まえて、成長への呪縛を前提にすれば弱みになる点を、強みに転換する価値観の転換が必要である。それを、集権型国家が行う見込みはない。未来が開けないまま集権型国家として苦悶するのが既定路線である。しかし、何らかの積極的な終活に価値転換するもう1つの路が、存在しないわけではない。

(了)


<プロフィール>
金井 利之
(かない・としゆき)
東京大学大学院 法学政治学研究科 教授 金井 利之 氏1967年群馬県桐生市生まれ。89年東京大学法学部卒業、同助手、92年東京都立大学法学部助教授、2002年東京大学大学院法学政治学研究科助教授、06年同教授。専門は行政学・自治体行政学。主な編著書に『縮減社会の合意形成』(第一法規、2019年)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、2021年)など多数。

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