2024年07月19日( 金 )

福岡城天守の復元的整備を考える第3回会合 論点整理と他城の事例(後)

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 福岡城の天守復元についての議論も第3回会合を経て、いよいよ今後は市民の意見を問う段階に入りつつある。ところで、会合を取材した記者が、第3回会合で興味深く感じた点について報告したい。

天守の謎そのものが福岡城の魅力

 今回の会合では復元的整備の論点整理がなされたが、このように整理してみると、論点3に挙げられた、福岡城の天守復元を難しくしてきた原因である史料不足ということそのものが、実は福岡城の奥深い魅力であることに改めて気づかされた。福岡城天守の史料不足は、単なる時間の経過による史料喪失ということにとどまらない。福岡藩がとくに江戸時代の初期を生き抜く上で、どのような知恵をめぐらせてきたか、そのような当時の事情の複雑さが天守の謎を大きくしている。福岡城の天守に付された大きな「?」マークには、まさに歴史をひも解く醍醐味がつまっている。

 その大きな「?」マークをめぐっては、これまで福岡城の天守の実在有無について、存在派と否定派による議論が多く蓄積されてきた。その議論の蓄積を振り返ると、天守の存否にとどまらない、福岡城と黒田藩をめぐる歴史上のさまざまな事象に探求の目が向けられており、天守論争史として1つの文化的な価値を感じさせるものだ。

 今回の会合においても、天守の実在を論証した丸山雍成氏からは、論文による反証を含めたさらなる活発な議論を期待する旨の発言があった。それは天守の復元云々という話にとどまらず、議論を通じての福岡・博多の歴史に対する認識の深まりを期待する積極的な発言であったと思う。

 福岡城の天守復元という提言は、ハード面(物的側面)における、まちづくりの推進を本旨としているが、大きな謎としての福岡城の天守をめぐる議論は、ソフト面での福岡・博多の歴史に対する市民の関心を高める大きなきっかけになるだろう。ぜひ今後、市民を巻き込んだ議論の活発化を期待したい。

日本各地における城郭復元の熱心な取り組み

 また、会合内ではもう1つ、全国の商工会議所に送られたアンケートの回答として、日本各地における城郭復元に向けた取り組みについても紹介された。いずれの町でも歴史ある城郭の復元が重要な文化施策となっていることと、それらの活動に熱い思いで携わっている人が日本各地にいることが伝わってきた。

 そこで福岡城の天守復元にとっても大いに参考になると思われる他地域の活動として、丸亀城(香川県丸亀市)と上田城(長野県上田市)における城郭復元に向けた取り組みについて簡単に紹介したい。

丸亀城:古写真発掘に懸賞金1,000万円

 日本国内には12の天守が江戸時代の姿のまま現存しており、そのうち1つが丸亀城の天守である。丸亀城は1660年ごろに京極氏が天守をはじめとする城郭を整備した。かつて丸亀城には天守以外に11棟の隅櫓とそれをつなぐ渡櫓や門、藩主の住居である御殿があったが、明治初期に多くが焼失している。

丸亀城 出典:Wikipedia
丸亀城 出典:Wikipedia

 丸亀市は京極氏時代につくられた丸亀城を再現するべく、明治期に焼失した隅櫓・渡櫓を復元し、また藩主御殿については復元後に歴史博物館として利用することを目指している。だが、現時点では復元を可能とする写真等の史料が不足しており復元が困難な状態だ。そこで、復元の根拠として求められているのが、明治期に焼失する前の櫓と御殿についての古写真だ。丸亀市はこれらの古写真が残されていないか、懸賞金1,000万円をかけて、発掘と提供を呼びかけている。

上田城:真田昌幸・幸村の名城

 上田城の歴史は、真田昌幸が天正11年(1583)に築城を始めたのに遡る。上田城がよく知られるのは関ヶ原の合戦で、西軍についた真田昌幸・幸村親子がわずか2,500人で上田城に立てこもり、関ヶ原に向かう徳川秀忠軍3万8,000人を釘づけにして、関ヶ原参戦を阻止したことで有名だ。

上田城 出典:Wikipedia
上田城 出典:Wikipedia

 戦国期の上田城はいったん取り壊されるが、江戸時代の半ばから復興された。城に天守はなく、7つの櫓のうち3つが明治期まで残ったが、1873年、民間に払い下げられ、2つの櫓は解体されていったん他所へ移築された。その後、上田城の保存にむけた住民の活動が現れる。1934年、国史跡指定。41年、解体されて上田城から運び出され市内で遊郭として使われていた櫓2棟が東京の料亭に転売されることを知った市民らが保存運動をおこし、市民らの寄付金によって買い戻された。櫓2棟は上田城に戻されて、戦後、修復が完成して現在に至る。

 上田市は江戸時代の上田城を再現するために、喪失してしまった4つの櫓の復元を目指している。だが、そのための根拠となる史料(古文書、絵図、図面など)が不足しているとして、懸賞金最大500万円をかけて、広く史料の提供を呼び掛けている。

市民のまちづくりとしての城郭復元活動

 このようにほかの地域でも城郭を街のシンボルとして復元しようとする運動がある。しかし、いずれも文化庁の厳しい復元基準の前に苦労している状況がうかがわれる。同じ目標をもった地域同士で連携することを視野に入れるのも面白そうだ。

 いずれにしても、城郭はどのまちにとっても貴重な歴史的遺産であり、市民にとっても、外部の観光客らにとってもその町の歴史を知るための重要な糸口となる。この貴重な財産を、市民が自分たちのまちづくりのために積極的に活用するために、ぜひ福岡城の天守復元に向けた市民間の議論の盛り上がりを期待したい。

(了)

【寺村朋輝】

(前)

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