2024年10月14日( 月 )

「福岡城天守の復元について考える市民フォーラム」開催、広く意見が交わされる

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 27日、福岡商工会議所が主催する「福岡城天守の復元について考える市民フォーラム~お城のあるまちづくり~」が電気ビルみらいホール(福岡市中央区)にて開催された。

 定員400名で広く市民の参加を募った会場は満員で、市民の関心の高さをうかがわせた。

福岡城天守復元の意義

 フォーラムではまず「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」(ふくふく懇)座長の山中伸一氏が挨拶を行った。そのなかで山中氏は、福岡城の天守が今まで復元されなかった背景である国史跡に指定された福岡城跡の位置づけに触れるとともに、天神ビッグバンによって開発が進む福岡の中枢で、歴史ある福岡の象徴として福岡城の天守が復元整備されることの意義を説明した。

 また、今枝宗一郎文部科学副大臣もビデオメッセージを寄せ、福岡城天守の実在についての学術的な問題を尊重しつつ国史跡の利活用について柔軟な運用を支持する考えを示した。

博多は民衆がつくった日本唯一の街

講演する本郷和人氏
講演する本郷和人氏

 基調講演では、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が、「商都博多と武家の町・福岡」と題して講演した。本郷氏は、まず古代から中世の博多について、日本の玄関口として栄えており鎌倉時代までには国際都市として中国人などが暮らしていたことや、室町時代にも日明貿易の玄関口として最重要な都市であったことを説明し、都である京から博多に至る瀬戸内航路が重要な交通路であったこと、それが応仁の乱における細川氏と山名氏の勢力争いにつながったことを説明し、戦国時代には大内、大友の争い、大友氏の繁栄の背景にあった博多支配と、その防衛のために築かれた立花山城にも触れた。

 また、黒田長政については、徳川家康が戦略的に豊臣恩顧の大名を味方に引き入れるにあたって最も功績があった武将であると説明し、黒田長政が毛利家の重臣である吉川広家と確たる約束をとりつけたことによって、徳川家康が関ヶ原の合戦に勝つことができ、西軍の総大将である毛利輝元を大坂城から退去させ天下を確実なものとしたこと、その第一の勲功の結果として筑前52万石とともに博多の街を得たと語った。そのうえで現在の福岡市は、民衆がつくった街・博多と武士がつくった福岡が融合した貴重な街であり、その歴史の象徴として天守が復元されることはとても意義深いとした。

パネルディスカッション~さまざまな意見が飛び交う

発言する丸山雍成氏
発言する丸山雍成氏

 その後のパネルディスカッションでは、本郷氏に加えて、「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」のメンバーである丸山雍成氏(九州大学名誉教授)、佐藤正彦氏(九州産業大学名誉教授)らが参加した。

 まず福岡城天守の実在について丸山氏が説明を行い、黒田長政が家を取り潰されることを恐れて福岡城を自ら壊したことや、その状況を裏付ける資料が実は黒田家と仲が悪かった細川家に残っていることなどを説明した。また、佐藤氏は建築史の立場から当時の福岡城天守がどのような姿であったかを説明した。丸山氏と佐藤氏の詳しい主張については、過去記事「福岡城天守は『実在した』 懇談会で示された根拠と復元イメージ」にて解説している。

 懇談会メンバーの千相哲氏(九州産業大学副学長)は、都市開発や観光の視点から福岡は豊かな歴史文化があるにもかかわらず、福岡を象徴する一か所にまとめられた歴史文化施設がないことや、福岡の街のアイデンティティーをかたちづくるランドマークがないことを指摘し、今後、福岡が発展するにあたって都市の象徴となる福岡城天守が再建されることの意義を強調した。

 その他にも市民による質疑応答が交わされた。

 市民からの質問(1):福岡市は刑法犯の発生ワースト1という話があるが、本当に住みやすい街なのでしょうか?

 千氏:調査の方法と指標により調査結果が異なる場合があります。

 市民からの質問(2):天守復元にあたってハードルは何か?

 佐藤氏:現状としては文化庁が許可してくれるかどうかによる。城は軍事要塞であり詳細な資料が残されることはほとんどないものであり、福岡城天守についてもこれ以上資料がそろうことはないだろう。存在したことについては丸山先生の研究で確実だと思われるのだから、現状の資料で天守の復元的整備を認めて欲しいというところだ。

 そのほか、各委員や市民から次のような発言があった。

 石井幸孝氏(福岡城・鴻臚館市民の会理事長):どこの国に行っても城は街の象徴であり、とても重要な観光資源だ。天守の再現にあたっては、防災・史跡の保全・居住性など時代の要請に合った令和の天守をつくるべきだと思う。

 本郷氏:文化庁は、平城京の復元は認めるが、近世城郭の復元については写真などの資料を要求する不当さがある。お城を復元するかどうかは最終的には市民が決めるべき問題だ。

 市民の意見(3):研究の結果、福岡城天守はあったのだと思うが、当時、黒田家が幕府を憚って天守を壊したということを重視すべきと思う。天守台を空き地のままにすることはそれなりに空想によって思いを馳せることもできる。

 市民の意見(4):観光ボランティアを務めてきた経験から、天守がないということはやはり寂しい。お殿様体験もできるような立派な天守をつくって欲しい。

 高木直人氏(九州経済調査協会顧問):舞鶴公園は天守の復元ばかりでなく、その他にもまだまだ有効活用ができる場所がたくさんある。そのためには舞鶴公園は大濠公園と一体化して有効活用することも検討すべきだ。

 谷川浩道氏(福岡商工会議所会頭):福岡城の天守復元が実現するには何よりも市民の支持が必要だ。行政を動かすためにもぜひ、市民の皆さまの強いご支持とご支援をお願いしたい。

 福岡商工会議所は今後も市民の意見などを聞き、秋には福岡市長に対する提言を取りまとめる予定としている。

パネルディスカッションの様子
パネルディスカッションの様子

【寺村朋輝】

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