30周年を迎え、また超えて(1)中島淳一画伯に魅せられて
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2024年11月10日、データ・マックスは法人として30周年を迎える。11月7日には設立30周年の祝賀会を予定している。この30周年、いや企業調査マン時代からを含む50年を振り返って「総括」するとともに「未来」を展望したい。
この50年間を振り返ってみると、おそらく3,000人の方々とお付き合いするご縁をいただいた(最低1年以上実際に付き合った人達)と思う。こうした方々から、すばらしい叡智と気概をいただいたことに感謝する。自分の運の良さは両親の血脈のおかげであろうと頭を垂れるばかりである。
そこで「30周年を迎え、また超えて」とのタイトルで連載を始めることにする。
中島淳一画伯に魅せられて~一人芝居興行の支援
中島淳一画伯は佐賀県唐津市出身である。知己を得たのは当社が週2回発行している『I・B』の3代目編集長が唐津市の出身という縁からであった。約20年前のことだったと思う。まず、応援しようと思った動機は画伯が「絵描きとしての自衛意識」をもっていたからである。一般的には、「絵描き」業を一生貫く人の大半は奥さん(連れ添い)に食べさせてもらって経済的な不安から解消されているケースが多い(奥さんが公務員か教師であるなど)。
画伯の婦人は事務局長として有能な方ではあるが、自立して稼ぐのは不得意である。それで画伯自ら食い扶持を稼ぐことが宿命づけられた。その稼ぎの手段が「一人芝居」興行であった。この事実を知り、画評をする前に画伯の生活力を応援したくなったのである。
また、自営業者・経営者としての仲間意識をもつようにもなった。その使命感を抱いて筆者は「一人芝居」興行の支援に乗り出し、これまで10回以上の興行を行ってきた。画伯からは「データ・マックスさんの一人芝居興行のおかげで食いつなぐことができた」と感謝された。
ニューヨーク・マンハッタンでの個展を
2回開催したのが転換点画伯も60歳を過ぎて悶々としていたに違いない(現在71歳)。「これで終わっていいのか。“道楽絵描き”レベルで生涯を終えて良いのか」と結論のでない自問自答を繰り返していた。「まあ、良いか!絵描きを志していた友人・知人たちの大半はあきらめてしまった。俺は一生絵描きを貫いているから彼らよりましだ」と安易な妥協をすることもあった。
2016年のことである。奥さんと娘さんがニューヨーク旅行へ行った。そこで知り合った個展プロデューサーから地元の画商を紹介された。画商からは「画家として成功するには最低5年間、マンハッタンで個展を完遂しないとダメである」と吹き込まれたそうである。その経緯を聞かされた画伯は「そうだ!ニューヨークで名を馳せて世界に通用する画家になるぞ」と決断した。
それからの行動は早かった。17、18年と2年連続で個展を完遂した。当社も軍資金づくりのための「一人芝居」興行を開催した。この興行を経験することで画伯は個展ビジネスのポイントを耳にすることができた。「セレブ、要するに富裕層といかに接点を築くか」「実力ある画商をいかにつかめるか」が成功と失敗の分岐点であることを認識し、どうすべきかについて会得したのである。
ところが、事は順調には進まない。20年からのコロナ来襲で、個展開催も難しくなる。さらに環境が悪化し、日銭稼ぎの興行ができなくなった。生活するための収入を失えば、創作活動どころではなくなる。どん底の時期は続いた。しかし、画伯のネットでの並々ならぬ情報発信が実を結び、次第にさまざまな問い合わせがくるようになり、世界中からアプローチが舞い込んでくるようになったのである。
ドバイでの個展計画、25年4月か
世界の最前線の画商たちが画伯のもとに押し寄せるようになった。彼らと接触すると貴重な情報を得ることになる。従来、主にやや小さめの30号(91.0cm×72.7cm)の絵画を描いていた画伯に対して「(大型の)130号(194cm×162cm)を主力にしなさい」との助言が最も核心をついたものだった。
その助言に従い、130号の絵画に集中的に取り組むようになった。そして、その作品群をもって今年7月4日から9日の6日間、福岡アジア美術館で個展を開催した。1,200人超の来客があったとか。
10月に2週間、画伯はアラブ首長国連邦ドバイに飛ぶ。画商がギャラリー開設のために開くセレブたちのパーティーに参加するためである。個展開催の前に名を売ろうという腹積もりである。こうしたパーティーへの参加は常套手段で、後に必ず作品への購入申し込みがあるという。この成功への段取りは、無策だったニューヨーク個展から学んだものである。
画家としての中島氏の歩みを企業にたとえるならば「零細企業がドバイ個展をきっかけに、中堅企業から中核企業へと変貌する」ということになる。本人は並々ならぬ闘志を燃やしている。
現在、画伯はドバイの個展に出展する作品の制作に専念している。この作品を来年2月に福岡アジア美術館で披露し、4月のドバイ個展(予定)に殴り込みをかける。いやぁ、「30周年」を振り返るトップバッターに中島淳一画伯はふさわしい。「アートの都市・福岡に中島淳一画伯あり」という名声が5年間で定まるであろう。
(つづく)
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