トヨタ総帥・豊田章男会長 問われる出処進退の決(後)
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企業経営者の最も重要かつ難しい決断は出処進退である。出処進退とは、今の地位にとどまるか、辞職するか、態度をはっきりさせること。引き際を誤ると、名声を傷つけ、晩節を汚すことになる。晩節を汚さないためには引き際が肝心だ。出処進退が問われているのは、トヨタ自動車の総帥、創業家の御曹司、豊田章男会長である。
トヨタ自動車の源流企業 豊田自動織機
「世界のTOYOTA」の歴史は、日本初の自動織機をつくった発明王、豊田佐吉翁から始まる。1926(大正15)年、自動織機を製造・販売するための豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立した。
トヨタ自動車が豊田自織機の一部門として発足した経緯について、有森隆著『創業家一族』(エムティエヌコーポレーション)に基づき述べる(以下、敬称略)。
27(昭和2)年10月、昭和天皇から勲章を授与され、親族一同、記念撮影という晴れの席で佐吉は倒れた。そして「喜一郎、お前は自動車をやれ」と一言、言い残して世を去ったというのが「一人一業」の始まりとされてきた。佐吉の長男・喜一郎が自動車に進出したのは、この「一人一業」を説く佐吉の遺志によると、巷間伝わっている。
しかし、無難なスタートとはいえなかった。先妻と後妻との人間関係が暗い影を落としたからだ。佐吉の先妻は喜一郎を産んだが、発明に夢中の佐吉のもとから離れ実家に戻った。佐吉は後添いを迎え、愛子が生まれた。愛子の婿養子となった利三郎が豊田家の当主として実権を握った。
豊田家嫡男と当主が対立
豊田家の嫡男・喜一郎と当主・利三郎は対立する。33(昭和8)年5月、喜一郎は織機内に自動車部を設置。豊田家の家督相続人で織機の社長であった利三郎が、これに猛反対する。「三井、三菱といった大財閥ですら手に負えない自動車を、田舎企業の豊田にできるわけがない。もし、自動車生産に乗り出したら自動織機ばかりか、本業の紡績まで潰れてしまう」。
同年9月、利三郎と喜一郎の対立は頂点に達する。利三郎は喜一郎を「禁治産者にする」とまでいい、一族は自動車生産について緊急の家族会議を開いた。
この時喜一郎に味方したのが、従弟(佐吉の甥)の豊田英二(のちのトヨタ自動車工業5代目社長)と異母妹の愛子だった。愛子は夫の利三郎に初めて叛旗を翻し、「お兄さまが自動車のために会社を潰したって、お父さまは満足されます」と賛成に回ったのである。
すったもんだの末、自動車産業への進出が正式に決まった。37(昭和12)年8月、自動車部が独立してトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)となる。初代社長は利三郎。喜一郎が社長に就くのは41年のことだった。
喜一郎はトヨタの栄光を目にすることはなく、戦後の52年3月、脳出血で他界。57歳だった。その3カ月後の6月、喜一郎と対立してきた利三郎も亡くなった。激しく対立した2人が相次いで没したことから、あとを継ぐ人はやりやすくなったといえる。
トヨタは喜一郎 織機は英二の家系が引き継ぐ
トヨタは52年7月、喜一郎の嫡男、章一郎(のち6代目社長)を取締役に呼び入れた。これ以降、トヨタは喜一郎の家系が継承し、利三郎の系譜の人物がトヨタ自動車に入ることはなかった。
喜一郎の自動車進出を支援した従弟の英二は、トヨタ自動車工業の5代社長となり、製販統合により発足したトヨタ自動車では社長が章一郎、初代会長に英二が就いた。英二の実弟の芳年は織機の4代社長、英二の次男・鐵郎は織機の7代社長、会長だ。トヨタは喜一郎、織機は英二の家系が引き継いだ。
織機会長を務めたのは創業一族の鐵郎。トヨタの黄金時代の扉を開けた立役者の1人、トヨタの5代社長、(故)英二の次男。トヨタ自動車販売からトヨタ自動織機に転じ、2005年に7代目社長に就任し、13年から会長となった。兄の幹司郎はトヨタグループのアイシン会長、弟の周平はトヨタ紡織会長を務めた。トヨタグループの長老だ。豊田自動織機は、その自動車部門がトヨタを生んだ源流企業だ。
09年6月、トヨタ自動車の定時株主総会で、章一郎の長男・章男が社長に就任した。豊田家が悲願としてきた大政奉還が成就した。それから15年。章男が執念を燃やしている、息子・大輔への事業継承に暗雲が漂う。
豊田章男会長の出処進退が問われる
トヨタ自動車の車の大量生産に必要な型式指定をめぐる認証不足があった問題で、国土交通省は7月31日、新たに7車種の不正を確認したと発表した。また、道路運送車両法に基づき、同社に初めて是正命令を出した。
7月初めには「新たな不正はない」と自ら発表していた矢先の不正発覚に、日本を代表するトヨタの信頼が揺らいだ。トヨタの佐藤恒治社長は「意図的な隠蔽」を否定したが、国交省は「幅広く意図的が行われていた」と認定した。
日野自、ダイハツ、織機などのグループ会社の不正が発覚した際、トヨタの章男会長は1月、トヨタ本体の不正は「ない」と言い切っていた。ところが、舌が乾かぬうちに不正があぶり出された。
佐藤社長は自身や章男会長の責任を問われると、「今の状態を先頭に立って改善していくことが、まず経営責任だ」と述べるにとどめた。
トヨタの源流である豊田自動織機では創業家一族のトップが引責辞任して、不正のケジメをつけた。トヨタグループのカバナンス不全は、永年トップとして君臨してきた章男会長が負うべきだ。出処進退の決断が問われることになった。
(了)
【森村和男】
法人名
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