東郷和彦の世界の見方~第1回 ウクライナ和平の動向(その1)(前)

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 NetIB-NEWSでも「BIS論壇」を掲載している日本ビジネスインテリジェンス協会(中川十郎理事長)より、元外務省で欧亜局長やオランダ大使を歴任した政治学者の東郷和彦氏によるウクライナ和平の行方に関する記事を共有していただいたので掲載する。

 2024年2月24日にプーチン大統領の指揮下でロシア軍がウクライナに攻め込んで以来、日本のマスコミを通じて広められてきたこの戦争に対する見方は、バイデン民主党大統領・英国ほかNATOの中心国・G7等の「西側」によってつくられてきた。それは、プーチンの侵略は国際法違反であり、何ら挑発されないのに行った一方的侵略であり、その後の戦争でも数々の非人道的行動を行い、このような行動は許すことができないというものだった。

 戦争をいつやめるかについては、攻め込まれたウクライナを代表するゼレンスキー大統領が抵抗戦争を続けるという以上、その抵抗戦争が勝利できるように軍事その他の支援を続け、厳しい制裁と相まってロシアを弱くして戦争に勝つという議論がほぼすべてであった。

 それ以上に踏み込んだ停戦が議論されることはほとんどなく、戦争の実際の当事者ともいうべきアメリカとロシアとの間でも、対話・意思疎通がほとんど存在しないままに、三年近くの歳月がながれた。

 1968年に外務省に入省しロシア語の研修を命ぜられてから、34年の外務省生活の半分を対ロシア関係の仕事で過し、退官して国際関係の研究生活に入った後も、ロシアの動向に関心を抱き続けてきた私も、プーチン大統領によるウクライナ攻撃により非常な衝撃をうけた。

 ただ、外務省現役の最後に日ロ平和条約交渉の正面にでてきたプーチンは、論理的に物事をつめ、ロシアの国益をまじめに追及する交渉相手としてむしろやりがいがある人としての記憶が鮮明にのこっていたので、どうしてこのような「暴挙」に出たかの原因を知りたいと思った。

 さらに、原因の如何を問わず、始まってしまったこの戦争は一刻も早くやめなければならないと私は強く確信していた。それは、第二次世界大戦終了の年に生まれ、戦後の記憶が鮮明に残っている私の世代の骨身にしみた考えとして、世界のなかから戦争の惨禍をなくさねばならないという、いわばDNA化した確信によるものだった。

 戦争をやめるには、事態を変える主導権を、軍人の手から外交交渉者がとりもどさねばならない。戦争は、話し合いと交渉によってやめる以外の策がないからである。

 外交の最も大事な基礎は、自国の国益を敵国に対して存分に主張し、その過程において、敵国の本音をつかみとり、事態の解決の原点をみい出すことにある。そうであるならば、日本を含む西側の外交官がはたすべき最も大事な責任は、敵国すなわちプーチンがなぜこの戦争を始めたかをつかみ取ることではないか。

 ウクライナ戦争が始まってから私は、そういう視点で必死になって毎日何が起きているかをフォローしてきた。実にたくさんのことを学んだ。とくに、この戦争の事実上の当事者であるアメリカ、ないしはアングロ・サクソンの内在的な論理がまるでわかっていなかったという「現実」に何回も直面することになった。

 そういうなかで二年の歳月がながれ、西側における戦争指導を事実上おこなってきたバイデン大統領の任期が終わりに近づき、共和党の対抗馬として、なんと、バイデンの前任のトランプが出馬を表明、あれよあれよという間に、共和党の候補としての地保を確立し、2024年11月5日、大統領選でハリス副大統領を抑えて勝利を確保してしまった。

 しかも驚くべきことに、「ウクライナ戦争を終わらせる」が、対外関係に関する重要選挙公約として登場したのである。

(つづく)

(後)

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