九州1兆円流通業三様、その先にあるもの(中)コスモス薬品に見る小売の新戦略
販売価格は信用そのもの
消費者が最も嫌うのは同一商品で時によって販売価格が違うことだ。目玉といわれる商品にその典型を見ることができる。たとえば、かつて四白といわれた典型的なチラシ目玉がある。豆腐、砂糖、牛乳、卵だ。このなかの卵を例にとれば、通常238円程度の商品を98円で売る。数時間も経たず、数千パックが売れる。砂糖も同じだ。もちろん、原価割れだ。しかし、仕入れ価格を大きく下回る価格で売っても、消費者はまさか原価を切って販売しているとは思わないから、98円で売っても利益が残る商品を238円と半ば暴利で売るのがスーパーマーケットだと錯覚する。当然、通常価格で買うのはバカバカしいと考えるから、スーパーマーケットでは特売中心の購入になる。
タイムサービスも同じだ。同じ商品を時間帯で違う価格で提供すれば、ロイヤルティーは育たない。俗にいう「金の切れ目が縁の切れ目」というパターンだ。そうなると、お客はチラシを比較してより安い店を探し回る。いわゆるチェリーピッカー現象だ。
多くの人は普通、損得を計算してモノを買う。次に健康、善悪などの物差しが続く。価格だけで競争をしようとすれば、常に相手の価格を下回る必要に迫られる。相手が100円なら当店は98円…といったことがエスカレートする。
豆腐が1円、牛乳が10円という極端な例も昭和40年代には少なくなかった。500円以上買い上げのお客に卵1パックサービスというのもあった。2,000円の買い物を、4回分けてレジを通れば、都合4パックの卵が無料で手に入るということだ。
週2回程度のチラシを入れるコストも売上の数%かかるうえ、目玉商品の損失を補てんするため、定番といわれる陳列棚の商品価格は仕入れ価格に20~30%の利益を乗せて販売しなければならない。過当競争を経て、実のない過当競争が影を潜めた結果、お客から見てのスーパーマーケットは安くなくなったのだ
一方、ドラッグストアやディスカウント店はチラシに頼る原価割れ集客ではなく、EDLPといわれる粗利益率15%程度で通常売場の販売価格だから低価格店としてお客のイメージにしみこむ。
食卓の変化が生む風
生鮮食品の食卓における立ち位置の変化も見逃せない。かつては生鮮三品の良し悪しが消費者の店舗選択の物差しとして使われるのが普通で、生鮮強化という言葉が、業界に横溢した。しかし、家族構成や嗜好性が変化し、共稼ぎや少子化が加わって利便、簡便性が優先するようになると冷凍食品やインスタント食品へのニーズが高まり、家庭食の変化も生まれた。
ほとんどの消費者は、コモディティといわれる日常消費品購入にはなるべく時間を掛けたくないから、その買い物は短時間で済ませたい。それを満たすのは近い、買いやすい、値ごろ感ということになる。
地方スーパーマーケットが抱える問題にはさらに深刻な問題がある。もともとスーパーマーケットは地域食文化に精通し、それに寄り添う売場で大手に比べて一日の長があった。しかし、ナショナルブランドがリードする日配、加工食品の全国平準化、生鮮食品のチルド流通、生鮮嗜好の変化などがありその優位性も、ほぼ消えつつある。
コスモス薬品には複数の強さがある。まず、対象市場の大きさだ。トイレタリーといわれる日用品の市場規模は2兆円、冷凍食品や菓子の加工食品は30兆円を超える。これらの商品を消費者は主に価格と品ぞろえで選ぶ。生鮮重視でのスーパーマーケットは売場面積から見てもコスモス薬品の売場、商品アイテムを包み込むことはできない。例え、それができたとしても、価格で勝てないから、隣接されたら打つ手がない。コスモスの好調な業績はそれを証明する。
次の表は我が国最大のスーパーマーケット企業・ライフとコスモス薬品の数値を比較したものだ。
コスモス薬品はカテゴリー別の数値を公表していないので、非食品と食品の店頭価格からそのカテゴリー別の粗利率を推計した。一見してわかるように、直営生鮮のないコスモス薬品の販売管理費とライフのそれは大きな違いがある。30%超の粗利益をもってしても、その経常利益率はコスモス薬品におよばない。人件費も同じで、売上の15%を超え、全体の販売管理費の半分が人件費に消える。店舗あたりの人員も同じだ。生鮮がなく、店舗面積が小さいドラッグストアはスーパーマーケットに比べて、圧倒的に少ない人員で店舗運営ができる。もちろん売場設備への投資も小さくて済む。
さらに、注目すべきは加工、日配品の売上だ。その額は日本最大のスーパーマーケット・ライフをはるかに上回る。イオン九州のそれに比べても1.5倍。さらに生鮮を除く日配、加工食品だけに限れば2倍になる。まさにガリバーだ。
そんなコスモス薬品だが、長いスパンでその業績を見ると、ここ数年、わずかではあるがいささかの変化は出始めている。しかし、創業から30年以上を経過しているにもかかわらず、かつて日本型GMSが経験したような急激な変化ではない。しかし、その堅調な流れが今後も続くとは断言できない。なぜなら、何はともあれドラッグ業界はこれからの3~5年間、立地とシェアの奪い合いがし烈化するからだ。そこに注目すると、M&Aとは一線を画したコスモス薬品の戦略が、今後も順調に推移するかどうかはいささか不透明ということになる。
10年代の総利益率19%台が20年代に入ると20%を超す年が出てくる。それに応じて経常利益率も変化している。これらの変化をインフレによる売り上げ増と販売力増強による原価引き下げでどう乗り切るかもこれからの注目点だ。
あえていえばスーパーマーケットの弱店は生鮮食品部門だ。生鮮には加工コストに加えて、商品の減耗ロスがある。時間とともに鮮度低下が進み、売れなくなるという宿命だ。鮮度の度合いは、店の評価に直接影響するから、時間の経過した商品は値下げして売り切るしかない。問題はその値下げだ。頻繁に価格が変わることが常習化すれば、お客は正規の価格では買わなくなる。いわゆる値下げ待ちだ。価格は信用そのものだから、値下げは信用をなくす。そのロスをカバーするには該当部門だけでなく、非生鮮の部門もおいそれと安売りはできない。販売促進も同じだ。従来型のスーパーマーケットが日替わり目玉で販売促進をかける理由は、全商品を安く売れば、経営にならなくなるからだ。目玉でお客を呼び、利幅の大きい商品をついで買いしてもらう。しかし、競争相手が少なく、消費が旺盛ならこのやり方が通用するが、数百メートルの距離で、さまざまな業態が競い合う現在では、そんな目論見は通用しない。ディスカウントストアやドラッグストアはもともと安く売ることができる経費構造になっているから、チラシを打つ必要もない。このコストも売り上げ対比で2%程度が発生する。ここでもスーパーマーケットは苦しい。SNSが定着した現在では、売場に魅力がないスーパーマーケットは、いくらチラシを出してもドラッグストアには勝てないということだ。
クオリティー型の限界
そんなスーパーマーケットがディスカウント型やドラッグに勝つには「わざわざの店」をつくるしかない。楽しさと生鮮の魅力にあふれる店づくりだが、それには運営コストがかかる。その運営コストをクリアするには、高い坪当たりの売上が要る。それを実現するには少なくとも3万人程度の商圏人口が必要だ。そんな立地は今やほとんど期待できない。そう考えると従来型スーパーマーケットの将来は楽観できない。イオンがマックスバリュをディスカウント型に変えるケースも従来型の限界を示している。地方の有力スーパーマーケットが合従連衡やM&Aでスケールアップを試みるのも、より厳しい将来を見据えてのことだろう。
(つづく)
【神戸彲】