磐梯高原の秋、変わりつつある観光地(後)

福島自然環境研究室 千葉茂樹

6.五色沼、神秘的な輝きは何処へ

 この付近も、すっかり様子が変わっていました。前出の79年の写真では、毘沙門沼(観光で皆さんが行くレストハウス前の沼)の水はコバルトブルーに輝いています。当時は、水質が良く、沼のなかの水草や泳ぐ魚が見られました。観光客は沼にボートを浮かべ、コバルトブルーの水や魚を見て楽しんでいました。また樹木も背が低く、磐梯山はどこからでも良く見えました。

 ところが、最近は沼の水質が悪化し、透明感がまったくありません。沼は、ため池のようです。また、沼の周辺の樹木も大きくなり、磐梯山が見える場所は限られるようになりました。

 余談ですが、写真の森の付近はマツタケの宝庫でした。80年代は、ホテル「五色荘」の従業員が、朝早くボートで対岸に行き、マツタケを採っていたそうです。私は、地質調査で毘沙門沼の周辺を歩きましたが、角張った大岩が積み重なり、極めて危険な場所でした。なお、現状を見ると樹木が大きく成長しすぎて、もうマツタケは出ないでしょう。マツタケ菌糸は松の木を中心に同心円状に成長していくので、ある程度の年月が経つとマツタケは出なくなります。

7.五色沼湖沼群をめぐる遊歩道

 毘沙門沼から五色沼湖沼群をめぐる遊歩道があります。この道は今でも整備されていて、歩くのには支障はありません。ただし、こちらも樹木が大きくなってしまいました。遊歩道のほとんどは森の中になってしまい、磐梯山が見える場所は限られます。

 80年代の遊歩道は樹木が小さく、樹木の向こうに遠くの景色が透けて見えていました。爽やかな風が吹き抜け、気持ちの良い道でした。また、木々が小さいことから日が差し込み、沼の神秘的な色が浮き上がりました。現在は、沼に日が当たる場所は限られています。ただし、前出の毘沙門沼のようなくすんだ色ではなく、遊歩道の中ごろの沼は今でも神秘的な色を湛えています。もしかすると遊歩道のはじめと終わりの沼は、ヒトの生活排水が入り込んで濁っているのかもしれません。

8.裏磐梯の明治神宮

 遊歩道の途中からちょっと森林に入った所に「明治神宮跡」があります。これは、1919年(大正8年)頃に遠藤現夢(げんむ)が建立したものです。

 磐梯山は1888年7月15日に噴火があり、山体の北側にあった小磐梯山が壊れて山崩れを起こしました。その山崩れにより、当時の渓谷を埋めてつくられた平坦地が、現在の裏磐梯です。遠藤現夢は、その荒れ果てた裏磐梯の地に植林をしました。現夢は、植林の成功後に明治天皇に感謝の気持ちを込めて、明治神宮を建てました。これは東京の明治神宮の約1年前です。彼の死後、80年代初めまでは管理する人がいましたが、その後は管理されなくなりました。そして2011年の東日本大震災の揺れで崩壊したと思われます。詳しくは、私の論文および雑誌の記事をご覧ください。崩壊前の写真も掲載しています。

論文:磐梯火山北麓に存在する石碑「明治神宮」-1888年噴火災害からの復興の遺構-(PDF)
雑誌:裏磐梯の「明治神宮」今も漂う遠藤現夢の魂 (出版社よりネット掲載の許可取得済み)(PDF)

9.秋元湖

 秋元湖は、磐梯山の1888年の噴火の岩屑(がんせつ)なだれ(山の崩壊による岩なだれ)が、渓谷の川をせき止めてできた湖です。その後、せき止められた水が、大雨や雪解けで決壊し、川下に土石流の被害をもたらしました。このため、ダム(堰堤)が計画され大正期に完成しました。

 今年の夏は高温で少雨だったことから、湖は水位が著しく低下しています。湖に浮かぶ島は、岩屑なだれがつくった地形で、「流れ山」と呼ばれます。

 この付近は、山の幸が豊富で、「サルナシ」がたわわに実っていました。キウイフルーツの原種です。

10.猪苗代国際スキー場

 私が地質調査を始めた1979年には、スキー客で溢れていました。スキー場自体も整備が行き届いて、夏場は草刈りがしっかり行われていました。また、90年代にはスキー場の拡張も行われました。さらにスキー場のなかには道が通っていて、奥にある琵琶沢まで車で行けました。余談ですが、この琵琶沢は山菜や果実の宝庫で、秋になると地元の人が背負いかごいっぱいに「ヤマブドウ」と採っていました。

 今回、スキー場の入り口に「渋谷(しぶたに)登山口 廃止」の看板が出ていました。さらに車で奥に行くと猪苗代国際スキー場は閉鎖になっていました。このため、琵琶沢に行く道も通れなくなっていました。このスキー場跡は、草刈りもされていないので、野生動物の住みかになっています。私は仮に登山道が残っていても、こんな道は歩きたくはありません。多分、かなりの確率でクマに遭遇します。

 余談ですが本来の渋谷登山道は、渋谷集落から始まっていました。猪苗代国際スキー場の開設で、登山口・登山道が変更になりました。同様に磐梯山の登山道は、ヒトの都合で付け替えられてきた歴史があります。

 興味のある方は、こちらを見てください。
山の道問題、所有・管理・運営など―磐梯山を例にして―」(PDF)

最後に

 このように、磐梯山周辺は、往時の繁栄に陰りが見られます。

 なお、2022年から(株)DMCaizuが赤埴山(あかはにやま)の開発を行っています。この「会津テラス計画」は、赤埴山山頂に巨大な展望施設「会津スカイテラス」(計画図では、三層建、横幅約250m)をつくり、大型のゴンドラリフト「会津スカイケーブル」で山麓と結ぶものです。現在、工事が急ピッチで進んでいます。おそらく26年秋には完成すると思われます。

 私は、地元情報誌の取材を受け、懸念を指摘しています。

政経東北24年4月号「猪苗代スキー場『観光施設計画』の光と影

 私は、すべてを反対しているわけではありません。ヒトが生活するうえでは経済活動も必須です。ただし、自然開発にはマイナスの側面もあり、地元住民にはそのマイナス面も考えていただきたいということです。11年の福島第一原発事故後に住民が言っていた「政府と東電に騙された」は、聞きたくありません。プラスの面を強調する開発企業に対し、地元ではマイナス面も見据えたうえで、開発を認めるか認めないか判断すべきと言っているだけです。後になって「騙された」では済まない問題です。

(了)


<プロフィール>
千葉茂樹
(ちば・しげき)
千葉茂樹氏(福島自然環境研究室)福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。

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