福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏
プーチンのロシアがウクライナに侵攻したのは3年以上前のことだ。今まだ終わらぬこの戦争について思ったことがある。プーチンは事前にAIと相談しなかったのかと。
本人としては正当な理由があるとしても、ウクライナに侵攻することは多大なリスクをともなう。経済的リスクのみならず、多くの人命を犠牲にもするわけだし、国際社会から非難もされよう。AIに相談すれば、それらのリスクをあらかじめ計算して示してくれるだろう。ウクライナ情勢のさまざまな統計データの一覧を見せてくれたかもしれない。
政治家がAIにどれくらい相談しているのか、人にもよるだろう。私自身は政治家を国家や自治体の経営者と思っているので、効果的で多くの人が満足するような経営をするには、AIとの相談は役立つと思っている。
AIの得意技は多量の情報を処理し、それをまとめて提示してくれることだ。AI自体には判断力や意見はないのだから、これを使えば政治家は冷静な判断が下せるはずだ。政治家とて人間。人間には主観的にしか物事を見ることができない。
AIを危険視する人もいるが、私に言わせれば誤解である。AIは道具に過ぎず、これを使う人間のほうがはるかに怖い。生活のための道具を殺傷機械にまでしてしまうのは、人間だけではないか。
そもそもAIを実体視してはならない。記憶装置と論理計算能力は人間の脳にも備わっているが、AIはその一部だけを模倣し、量的に拡大したものにすぎない。
当然ながら、ある部門では人間の脳を圧倒するが、人間の脳はこれよりはるかに複雑な機能をもっており、AIはそれに追いつけない。というより、AIはもともとそれを目指してつくられてはいない。
それに、人間の脳は意識をもち、意識をもつことでアイデンティティーをもつ。アイデンティティーをもつとは、主体として存在するということで、そこから主観が生まれる。AIにはそうしたことは起こらない。
人間が主体として考え行動するのは、それが自己の生命の維持に役立つからだ。AIは生物ではないので、主体ともなり得ないし、主観をもつこともない。だから、これを実体視して恐れる必要はまったくない。
主体もなく主観もないとは、想像力も創造力もないということだ。その意味でAIはコンピューターと同じで、所詮は計算機なのである。情報を0と1という2つの数字の組み合わせに変換するそのやり方は、AIがコンピューターから引き継いだものだ。
誰についてもいえるが、政治家の場合は多くの人々の生活に影響をおよぼすので、その人の主観はチェックが必要だ。そのチェック機能を民主制度では「衆人の議論」によって行っているが、その議論が機能不全を起こすことがある。
議論の機能不全は、独裁者が議論を封じるということによっても起こるが、金権政治によっても起こる。あるいはまた民主システムが形骸化し、社会の実情とかけ離れてしまうことによっても起こる。
政治家がほかの政治家と議論をまともにできなくなれば、民主システムの機能不全となる。いまの世界ではそれが起きている。選挙制度そのものに問題がありそうだが、そのせいだけではない。
こういう時こそAIを活用すべきだ。AIの提示する情報を分析していけば、おのずと議論の共通基盤が生まれるにちがいない。
ところが世の政治家の多くは、AIについての基礎知識がない。AIの利用度は増える一方だから、AIの基礎知識は義務教育で徹底して行う必要があるというのに。
さて、政治家に欠けているのはAIについての認識だけではない。エンジニアリングというものがわかっていない。だから、その恩恵に浴すこともできない。
エンジニアリングの核となるのはシステム設計である。エンジニアはAIなどを活用して必要な情報を集め、問題を分析し、そこから新たなシステムを設計して問題を解決する(クリック著『エンジニアリング入門』)。
その設計でうまくいくかどうかは、さまざまなシミュレーション実験をして確認し、これなら大丈夫となれば、その新システムを稼働させて問題解決をするのである。
政治家はこうしたことを知らない。それだから、技術革新を嫌う官僚システムに依存し続ける。
総じて、政治家に欠けているのはシステム論的把握力である。もし政治家がAIに相談するだけでなく、問題解決のできるエンジニアのチームを備えているなら、大きく前進することができる。
日本の今後を考えねばならない政府は、日本とその周辺の国々の諸関係をシステムと見て、政治システムに長けたエンジニア集団に相談すべきである。そこにアメリカがどう介入するのか、過去から現在までのアメリカのアジア政策の変化をAIに集約してもらい、それを基にしてシステム設計をしてもらうべきなのだ。
日本が経済復興した背景に、トヨタのような企業が革新的エンジニアリングを採用した事実があることを思い出してほしい。
(つづく)