【異色の芸術家・中島氏(29)】アトリエメモランダム「ゴルゴタ」

 福岡市在住の異色の芸術家、劇団エーテル主宰の中島淳一氏。本人による作品紹介を共有する。

Golgotha(ゴルゴタ)

 この絵は炎の書である。金と朱と深紅が、血液が大気に触れて酸化し、変色し、生きたまま燃えている。黒い影は、神の沈黙。そこに流れ落ちる赤は、「神よ。なぜ私をお見捨てになったのか」というイエスの叫びの余韻。だが、その赤と黒の渦中に、金はひそかに呼吸している。金は復活の予兆であり、地平から差し込む第三日の光だ。このゴルゴタは叫びではなく燃え尽きた愛の余熱としての光景である。

 この作品は火の霊的象徴体系のなかに位置している。古代イスラエルの伝統では、神は火の柱(Exodus(出エジプト記)13章21節)として現れる。キリストは「光として世界にきた」(John(ヨハネによる福音書)1章9節)。この絵の噴き上がる炎は、受肉した火・イマゴ・クリスティ(キリストのイメージ)が肉体を離れ、霊化し、宇宙に還っていく瞬間のビジョンである。闇の塊は、罪の総量が圧縮されたものであり、十字架はそれを光へと転換する錬金術的炉として語られてきた。この絵のなかの黒は、世界のカルマの沈殿物だ。金色はシュタイナーが語る太陽エーテルの象徴であり、ここでそれは、死を通して新たな生命体へと変容する宇宙的身体の脈動として画面に浮かび上がる。

 多くのゴルゴタの絵が十字架を外から見て描くのに対し、この作品は受難の内部の熱情を描いている。十字架刑は歴史的には悲劇であるが、神学的には宇宙の中心点が燃え上がる瞬間を意味する。この絵の炎は、神学者ハンス・ウルス・フォン・バルタザールが説く「神の愛が地獄の深みまで下降したときの温度」そのものである。赤はキリストの血のエネルギーであり、神学的には愛の可視化されたかたちである。この作品の赤は、流された血が世界のアダムを再創造していくという神学の中枢を絵画的に翻訳している。復活したキリストの身体は、もはや地上の物質ではなく、spiritual body(霊的身体)だ。金の光が画面に滲み出ているのは、復活体の質感を予告するものである。この作品は色彩そのものが意味を発し、物語を生む霊的抽象画である。強烈な赤が流れているが、これは単なるアクリルの流動ではなく、受難という歴史的事件が今も流動しているというメタファーに転化している。金が厚みをもって残ることで、救いは触れられるものという実存的なメッセージへ変わる。抽象表現主義のロスコやニューマンが探求した、the Sublime(崇高)の系譜を受けつつ、神学的崇高へと踏み込んでいる。これは宗教画ではなく、キリスト教神学的主題を具象なしで成立させる試みであり、神学的現象の抽象化と呼ぶべき領域の作品だ。

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