機能不全だらけの世の中(5)心の機能不全

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

イメージ    これまでシステム論の重要性を強調し、エンジニア的知性をもっと活用しようと訴えてきたが、今日の日本人が気にかけなくてはならない問題がもう1つある。戦争後遺症による心的機能不全だ。

 「戦争後遺症?敗戦は80年前の話でしょう?」と不思議がる人もいるだろうが、私の考えでは、いまだに日本人は敗戦を引きずっている。その何よりの証拠は、戦争について落ち着いて振り返ることができず、この話題を避けて通ろうとする傾向があることだ。若い世代がこの話題に興味を示そうとしないことも、そのことを示している。

 1980年ごろまでは、この問題を直視しようという動きが少しはあった。しかし今やそれも完全に消え去り、戦後80年を記念する報道番組は戦争の悲惨を訴え、その犠牲者はもっぱら日本人であったという言説に終始している。

 一体どうしてそういう戦争をしてしまったのか、根本原因を問う番組はほとんどない。この状況はずっと続いている。

 皇后雅子さまの父親で、かつては国際司法裁判所の長を務めた小和田恆氏は、そのことを憂えている。戦後80年記念のテレビ番組を見て、日本が戦争によって犠牲にした他国民について意識を高める番組がほしかったと述べたのだ。戦後の日韓関係の調整に尽くした人だけに、その訴えには痛切なものがあった(「戦後80年を問う(18)」)。

 つい最近のことだ。80年代に日本にやってきたとある中国人と、久しぶりの再会をはたした。

 久しぶりの会話のなかで印象に残ったのは、「初めて日本にきて印象に残ったのは、テレビのチャンネルの多さだった。それぞれのチャンネルが、同じ事件を取り上げて違うことを言っていることに感動した」という彼の言葉だ。「民主主義はこれなんだ、と感動したんです」と。
 「じゃあ、いまの日本はどう?」と聞くと、「いまの日本は中国と同じ。どのチャンネルも同じことを言っている。面白くないね」

 彼と別れてから1人考えた。一体、この四半世紀のあいだに何が起こったのかと。

 「バブル崩壊?」「阪神大震災?」「福島原発事故?」と考えてたどりついたのは、「戦後システムの崩壊」だった。システムが崩壊すれば、機能不全どころではなかろう。

 だが、そのまえに戦後システムとはそもそも何だったのか。

 いろいろ調べて得た結論は、戦後にはシステムがなく、戦前のシステムの延長であり、そのなかでマッカーサーが「温存してもよかろう」と判断したものの寄せ集めだということだ。だから、そこには全体を集約する論理がない。あるのはある種のデタラメさなのである。

 そのデタラメさが戦後復興の原動力ともなったのだが、デタラメさの負の部分は戦争中にすでにあった。吉田裕の『日本軍兵士』を読めば、それが良くわかる。

 軍のデタラメさ、政府のデタラメさ。その犠牲になったのが一般兵士であり、日本軍によって命を奪われた中国や東南アジアの幾多の人々だったのだ。

 戦後のデタラメさが戦前とちがうのは、かつての「皇国」のしばりがなくなったことである。その結果、いわば野放図なデタラメさが生まれた。「闇市」という非合法の商売がそれを表している。今でも東京上野のアメヤ横丁に、新橋のガード下に、その面影が残っている。

 多くの人は広島と長崎の原爆を記憶に残しているが、広島の犠牲者は14万、長崎が7万強。これに対し、東京大空襲の犠牲者は一夜にして10万以上、総数で20万に達するという。これによって壊れたのはビルや家屋のみならず、生き残った人々の精神でもあったはずだ。だとすると、その被害はあまりにも大きい。

 日本の戦後が悲惨な経験の後遺症のうえに成り立っているとすれば、「戦後」が崩壊したことは喜ばしいことのように思える。しかし、それでも日本人がすっきりした精神状態になっているようには見えない。それは、戦後80年を過ぎても戦争の記憶を封印し続けているからだ。

 意識の表面から消えた「戦争」は精神内部でくすぶり続けている。これを言い換えれば、戦争後遺症の慢性化であり、それによる心的機能不全である。

 この問題の解決は精神科医に委ねればよいものか。それとも、システム・エンジニアに解決してもらうのが得策か。

 そうはいかない。むしろ癒しとなるのは文学作品であろうと私は思う。たとえば結城昌治の『軍旗はためく下に』や『虫たちの墓』。あるいは幼少期に長崎を離れた英作家のカズオ・イシグロの『遠い山なみの光』『浮世の画家』。こうした作品は、真の癒しを与えるもののように思える。

 韓国のテレビドラマには、執拗に軍事政権時代の集団的記憶を追い求めるものがある。娯楽性がありながら、歴史の傷痕から目を離せないのだ。日本のドラマにそういうものがあったか。NHKの朝の連続ドラマはかたくなにそうしたテーマを避ける。これこそ後遺症の現れなのである。

(了)

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