小売王国・九州はなぜ崩れたか~日本型大型店の栄光と衰退

成長と停滞、そして消滅
九州の小売推移

イメージ    歴史は繰り返す。時代の転換点には同じような現象が起こる。世界をリードしたアパレル、家電、半導体、小売の世界が好例だ。世界に誇った我が国の少なくない大企業が今や不振にあえぐ。人間と同じ、物事のすべてには寿命がある。

 日本型大型店の登場は戦後の混乱期、朝鮮戦争を経て、一段落した好景気のなかで、進駐軍の暮らしの豊かさに目を向けた小売関係者が、アメリカの小売に倣ったセルフタイプの店舗導入を図ったことに始まる。

 戦後からしばらくは地方都市には個人店舗とともに百貨店を山頂に、衣料品、ファッション雑貨、寝具などを扱い、複数の従業員を雇用した中規模の店が繁盛した。そこに登場したのが、日本型大型店だ。あえて日本型というのは、ダイエー、イトーヨーカドーなどの日本の大手小売が食品、衣料、雑貨、日用品と多様な売場(カテゴリー)をもつのに対し、シアーズやKマートなどのかつてアメリカを代表するGMSやDS業態といわれた大型小売業には食品部門が無かったからだ。食品はスーパーマーケットという専門業態があり、その境がはっきりしていた。

 1960年代に入ると、日本型大型店は地元エリアから、全国に店舗展開を始めた。九州では衣料品を祖業とする寿屋とユニードがしのぎを削り、福岡の博商、北九州の丸和、熊本のニコニコ堂や食品祖業の佐賀のハロー、百貨店協会加盟の鹿児島の桜デパート、タイヨーなどがそれぞれの地域顧客の支持を集めた。そんな業界に再編の風が吹き始めたのは70年代に入ってからだ。高度成長下のライフスタイルの変化や競合激化で有力小売企業が押しなべて経営不振に陥った。本格登場から30年が経ち、競合店の増加と、店舗と商品の陳腐化が進行したからだった。鹿児島の遠矢、桜デパート、北九州のかじや(現・ハローデイ)など九州各地で同じような状況が生まれた。

 そんな中、彼らに救済型で手を伸ばした地場大手に寿屋がある。寿屋はボウリング場や映画館跡などを利用したチェーン展開を始めて、10年足らずでその売上を10倍に伸ばすという急成長をはたした。そんな経営手腕をおだてて銀行が桜デパート、近隣の遠矢、大分のフタバなど経営不振に陥った小売業の合併を持ち込んだ。しかし、その成長軌跡もすでに曲がり角に近づいていた。

 合併はチャンスとともにリスクのある投資だ。各社の経営不振は、消費環境の変化による商品、店舗の陳腐化が主因で、営業手法が原因ではない。当然、店舗の看板だけを掛け替えても改善効果は手にできない。加えて、人的な問題もある。そこで働く従業員には新しい経営への不安と救済合併という事態に小さくない抵抗感が生まれる。素直に気持ちを切り替えて、新たな船出に…とはいかない。

拡大の蹉跌(さてつ)

 当時、その勢いに業界が注目した寿屋だったが、合併会社は後に同社の重荷になっていく。最終的に同社は、800億円を超える関連会社の累積赤字が発生し、その体力を消耗していく。

 陳腐化した店舗、商品をそのままに、規模拡大に手を伸ばしても、それは利益なき拡大につながりかねない。店舗への改装投資は、商品と販売法の転換なくして、投資に見合う売上の増加は期待できないからだ。老朽化した店舗への投資には余裕ある財務が不可欠だ。スクラップ、改装には除却損が発生する。業績改善は店長の経営手腕次第という当てにならない気合の戦術で解決できるレベルではない。

大手にもやがて不振はやって来る

 九州の流通業が本格的に騒がしくなったのは81年あたりからだ。高度成長が終わり、店舗の老朽化も進んだなかで、ユニードと寿屋という九州大手同士の合併話が持ち上がった。

 交渉段階でそのテーブル下でオーナー同士が相手の足を蹴りあうとも揶揄された経営主導権争いの半ば敵対的雰囲気のなかでの合併話だった。当然のことながら、交渉は不成立。その後、ユニードはダイエーの軍門に下ることになる。

 寿屋と同じ熊本拠点のニコニコ堂もダイエーとの業務提携を結んだ小売業だ。90年代には大型店14店を出店するなど、拡大路線を突き進んだが、中国事業の不振などで98年度3月期には25億円の赤字を計上後、ダイエー出身の平山敞氏を社長に迎えたものの、浮上を果たせず、2002年に民事再生法の適用を申請、ダイエーは提携を解消した。その後、ニコニコ堂は再建スポンサーとして広島本拠のイズミが引き受ける。

九州の主役交代と今後

 イズミはもともと衣料品問屋で、寿屋やユニードといった九州の大手小売業はその取引先だった。そんなこともあって、得意先と正面からぶつからないスーパーマーケット業態でスタートした。その後、寿屋やニコニコ堂といった地場先発企業の制度疲労による衰退を尻目に、本格的に九州への進出をはたす。

 主力はSC業態だ。自社の衣食住部門にテナントを加えたSC業態、西友の九州事業の取得など積極拡大でダイエーや寿屋、ユニードの消えた九州小売をイオン九州とともに席巻する。

 一方、マルキョウ、マルミヤが山口のマルキューと合同し、トライアル、ルミエール、西鉄ストア、ハローデイ、エレナといった小売各社、 Aコープや地方生協、ドラッグストア業態など、それぞれの戦略で生き残りを図っている。

 一方、百貨店系のスーパーマーケットに目を向けるとその不振が顕著だ。百貨店系のスーパーマーケットはその生い立ちもあって、価格的な戦闘力はない。当然、なりふり構わない業界競争の下で、その存在感を確保するには、従来型とは違った戦略が求められる。

 かつて、不振にあえいでいた伊勢丹傘下の伊勢丹ストアは百貨店出身の田村弘一氏が思い切った独自戦略で高質化を図り、店舗名もクイーンズ伊勢丹に変更し、ハローデイと並ぶ日本一見学者の多いスーパーマーケットといわれるまでになった。しかし、高質化には都会の地、人口密度が高いという条件がある。

 都会型ライフスタイルも人口密度も低い九州でのクイーンズ方式はその実践が困難だ。山形屋ストアやトキハインダストリーにそれを求めるのは難しいし、新規出店の余裕はなく、結果としてその先行きは極めて厳しい。成長力のない企業はやがて成長企業に飲み込まれる。イオン九州やコスモス薬品など出店余力のある企業に挟撃されるその将来は明るくない。

【神戸彲】

関連記事