【追悼】楽しさでスーパーを変えた男 ハローデイ二代目・加治敬通の流通革命
稀代の経営者
そこはかつて日本一見学者の多いスーパーといわれた。しかも、訪れるのは同業者だけではない。自治体議会議員、カー用品、ホームセンター、コンサルタント。来訪者は実に多岐にわたった。中には海外からやって来る人もいた。福岡、熊本、山口に店舗展開する北九州市本拠のハローデイだ。
創業者は加治久典。しかし、従来型のスタイルをすっかり変え、新しい高質スタイルに転換した第二の創業者は創業者の長男、敬通氏だ。
その敬通氏が逝去した。61歳、還暦を過ぎたばかりの若さだ。
嫌いとコンプレックス転換を実現した
二代目経営者、加治敬通氏は家業が嫌いだった。それでも特にやりたいことが無かったから仕方なく家業を継いだ。
ハローデイの前身「かじや」は従来型の安売り主体のスーパーマーケットだった。往時の北九州には丸和という古豪スーパーマーケットが君臨していた。我が国で一番早くスーパーマーケット方式の店舗を作ったということでも有名な小売業だ。「ラ・パレット」という高級スーパーマーケットも持っていた。
そんな競争の中で「かじや」の業績は低迷を続け、1981年には地場大手の寿屋との提携で再起を模索したが、お互いの思惑の違いで88年には袂を分かち、独自路線に戻った。同年、「かじや」の名称を「ハローデイ」に変更し、アミューズメントフードホールという視点で店舗のディスプレイ、売り場づくりに乗り出した。ちなみにフードホールというのは食品貯蔵庫の意味である。
その第一号店が旧霧ケ丘店。敬通氏の思いのこもった店だったが、彼がそこで満足することはなかった。自分なりに納得するお客に胸を張れる店を作りたい。そんな思いはその胸の中でますます強くなる。彼はとにかく、楽しい店を作ることに思いをはせた。従業員もお客も楽しめる店を。
そんなハローデイが福岡市に隣接する那珂川町(現那珂川市)に進出したのが2000年。その店舗は近隣の同業者にとって半ば驚愕だった。通りにくい通路、多彩なディスプレイ、シズル感あふれる生鮮食品、しかも価格は安かった。価格の安さは新天地への恐怖からだ。
お客へのイメージは開店からしばらく経つと定着する。開店時にいくら安く売ってもそれが落ち着いた後の価格と品質をお客はしっかり見ているのだ。ハローデイは「高級でしかも安い」というイメージにこだわった。品質が良ければお客はそれに見合った対価を納得して払ってくれる。しかし、現実はそう甘くない。そんなお客は全体の2割にも満たない。大多数のお客が求めるのは品質と価格の双方だ。高質で安い。加治氏はそこにもこだわった。客数が落ちると即座に目玉だけを掲載した特別のチラシを出す。それで高くないというイメージを創り出すのだ。そんな独自性は商圏を拡大する。その広さは通常型の1.2~1.3倍だ。さらに生鮮のクオリティーを上げれば単価も通常型の1.2倍になる。一品単価250円として買い上げ点数が10品。一人当たりの売り上げは2,500円になる。そうなると売り上げの高い店舗は年商20億円を超え、低い店でも15億円以上の年商を確保できる。大手流通の関連スーパーの売上の1.5倍超だ。この高い店舗売上が経費率の引き下げに貢献する。店舗運営の経費は売り上げに応じて大きくは変化しない。生鮮食品を手間ひまかけて付加価値を付け、日配、加工食品は安く売って広域集客で単価と買い上げ点数を増やすことで大手とは違う収益構造を創り出したのが加治式経営だ。
やってみなはれ
こだわったのは店舗デザインやロゴだけではない。売り場の装飾と商品づくりにもとことんこだわった。中でもパート従業員が作るメニューを商品化したことが大きい。自由な発想でパート従業員のアイデアを募ると、大手チェーンでは考えられないような商品が出来上がる。マニュアルに沿った定型作業からは絶対に生まれないアミューズメント商品だ。氏は感動という言葉が好きだった。すべての社員がアイデアを出し、自慢の商品を作り、売り場に並べる。加えて、そのコンテストを行うから、社員がこぞって商品づくりの腕を競い合う。これがパートアイデアの商品かというような商品が売り場に並ぶのだ。一見プロの職人が作った商品かと見まがうほどの商品も少なくなかった。
「パートさんにできる商品ではない…」店舗視察に来た競合他社の役員と同行した時、彼がぽつりとつぶやいた一言が頭に残っている。しかし、その売場のほとんどはパート従業員によるものだった。
真似て、真似て、真似尽くし、やがて追い越す。加治氏の口ぐせだった。特別な店の特別な運営は容易ではない。トップの情熱次第で結果が決まるからだ。誰がやっても同じ。平準化、標準化、簡素化。アメリカ生まれのこの哲学が跋扈(ばっこ)する小売業界は看板違いで売り場は同じと揶揄される。結果として価格によってお客は店を使い分ける。生鮮中心に他社とは違う商品価値を付加するハローデイは大手チェーンと違って、ワンストップ性が高い。結果として買い上げ点数が増える。生鮮食品は価格ではないから、そのクオリティーが高いとお客は納得して対価を払う。その結果が高単価と高点数だ。これはどこにでもできることではない。
そんなハローデイだが、一時は株式上場の準備をしていた。上場会社と非上場会社では社会的評価が全く違う。しかし、知人から上場すれば好きな経営はできなくなるといわれると、あっさりそれを諦める思いの強さを持っていた。彼にとって経営とは自分の好きを極めることであり、それ以外はほぼ眼中になかった。
部下がニュージャージーに行ってウェグマンズという高質スーパーを見てそんな店を作りたいといえば「どうぞ」という姿勢でそれを許し、実際にそのスタイルを参考にした新店は在米のコンサルタントや見学者を感嘆させた。
見学に訪れた流通誌の女性編集長や他県の県議会議員が立場を忘れて、たちまちお客化するほどだった。氏の思いはそんな形に結実した。東京の高質スーパー・クイーンズ伊勢丹を作り上げた田村氏もハローデイの新店舗を見て、「我が国で三本の指に入る店舗」と評価したものだった。
その後、山口、熊本に店舗展開したハローデイだが、今後の問題は立地開発だ。特別な場合を除いて、通常の業態での立地創造は不可能だ。特に消費頻度の高い食品は近い、安いが基本原則だ。それを考えるとクオリティー型に加える新業態を考えるときにきているといってもいいだろう。
そんな時に氏の逝去は早すぎるというのがわが想いだ。彼は自分の思いを制御しながら、有能な部下の力を引き出す名伯楽だった。
そんな氏が率いた組織のリーダーは余人をもって代えがたい。彼と同じ思いの強さを持つのは不可能だ。なぜなら、彼の中では常に挑戦する嵐が渦巻いていたからだ。その思いは創業者の父親にも信頼する部下にも同業経営者にも妥協が無かった。その決断力と価値観は常人のそれとは全く違う。その点、彼の強烈な個性は十分に感動に値する。短くはあったが、そんな稀代の経営者、加治敬通さんとのご縁を感謝しつつ今は心からご冥福を祈るばかりだ。
【神戸彲】








