【異色の芸術家・中島氏(39)】アトリエメモランダム「無垢な天使の秘密」

 福岡市在住の異色の芸術家、劇団エーテル主宰の中島淳一氏。本人による作品紹介を共有する。

無垢な天使の秘密(The Secret of the Innocent Angel)
無垢な天使の秘密(The Secret of the Innocent Angel)

 この天使は、空を飛ばない。声高に神を讃えもしない。ただ、紙の上にそっと触れた痕跡として、淡い赭(あか)と金のにじみのなかに、秘密のまま存在している。輪郭は曖昧で、形はほどけ、それでもたしかに「羽根のようなもの」がひらいている。それは光のためではなく、傷つきやすい内奥を包むための羽根だ。赤い小さな点は、血でも宝石でもなく、まだ言葉になる前の感情の芽。無垢とは、汚れていないことではない。

 まだ裁かれていないことなのだと、この天使は沈黙のまま教えている。神秘学において「天使」は、完成された存在ではない。むしろそれは、世界と霊界のあいだに張られた振動そのものである。この作品の天使は、明確な上下をもたず、左右も溶け合い、中心がどこか定まらない。それは、存在がまだ分節化されていない段階、象徴以前の状態を示している。色彩は金(霊)と赭(肉)が混ざり合い、どちらにも完全には属さない。ここに描かれているのは、堕ちる前の天使でも、昇る天使でもなく、まだ選ばれていない存在である。神秘学的にいえば、この天使の秘密とは──「光も闇も、まだ同じ源から湧いている」という事実である。キリスト教神学において、無垢(innocent)とは「罪を知らない」ことではない。それは罪を引き受ける前の自由である。この天使は、ルシファーのように反逆していない。しかし、ミカエルのように剣をも持たない。つまりこの天使は、善と悪の物語が始まる“直前”に立っている存在だ。赤い点は、アダムの罪でも、キリストの血でもない。それはまだ神学的意味を与えられていない「生の震え」である。神は光である以前に、「呼びかけ」であった。この天使は、その呼びかけをまだ聞いていない存在なのだ。ゆえに、この作品における無垢とは、神に近いことではなく、神の問いにまだ答えていないことを意味している。深層心理学、とくにカール・グスタフ・ユングの視点から見れば、この天使は明確に〈内なる子ども(インナー・チャイルド)〉の象徴である。輪郭が未完成・身体が溶けている・中心が定まらない。これは、自我が確立する以前の心的状態、すなわち傷つきやすく、しかし最も創造的な層を示す。赤い点はトラウマではない。

 それはトラウマになる「前」の感情だ。まだ言語化されず、まだ物語に閉じ込められていない。この天使の秘密とは、「人は壊れる前に、必ず柔らかい場所をもっていた」という事実である。そして芸術とは、その柔らかさを再び思い出すための安全な場所なのだ。哲学的に見るならば、この作品は「完成」や「完成度」を拒否している。輪郭が曖昧なのは、技術不足ではない。それは、存在が定義されること自体への抵抗である。存在は、形を与えられた瞬間に、同時に「失われる可能性」を背負う。この天使は、存在がまだ可能性のままである状態を保っている。無垢とは、倫理的概念ではない。それは存在論的な未決定性である。この天使は問いかける。「あなたは、完成した自分しか愛せないのか?」と。この作品において最も重要なのは、線が説明にならず、祈りとして存在している点である。線は輪郭を支配しない。色彩はかたちを閉じない。すべてが途中であることを肯定している。これは象徴主義でも、抽象表現主義でもない。むしろ、〈未完を完成として提示する芸術〉である。天使を描くことは、理想を描くことではない。壊れやすさを、そっと差し出すことだ。この作品は、「天使とは何か」を描いていない。「人間がまだ人間になる前の場所」を描いている。無垢な天使の秘密とは、隠された知識ではない。啓示でもない。それは、壊される前に、そっと包まれているという事実そのものだ。この作品は、見る者に何も要求しない。ただ、「まだ名前をつけなくていい場所が、あなたのなかにもある」と静かに告げている。それこそが、この天使が沈黙のまま守っているいちばん深い秘密なのである。

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