「心」の雑学(19)たくさんいるのに誰もやらない?〜援助に踏み出せなくなる状況とは〜

イメージ

人々のなかにいると

 新年度が始まり、学校や職場で新しい集団生活がスタートしたという方も多いだろう。初めての教室、初めての部署、最初は顔と名前を覚えるだけでも精一杯という日々のなかで、私たちは少しずつ新しい環境での自分の居場所を探していく。

 このような集団生活が始まると、自分自身が困ることもあれば、誰かが困っている場面に出くわすことも少なくない。たとえば、提出物の場所がわからず立ち尽くしている学生、会議室の予約方法がわからず戸惑っている新入社員などを見かける場面があるだろう。あるいは、登校・通勤の途中で、駅の構内で乗り換えがわからず立ち尽くしていたり、重そうな荷物を抱えて階段で難儀している人を見かけるかもしれない。

 そんなとき、「大丈夫かな」「助けたほうが良いか?」などと心のなかに浮かびつつも、なぜか声をかけるのをためらってしまうことはないだろうか。とくに、周囲に自分以外にも人がいる状況だと、「きっと誰かが...」とついつい思ってしまうのは、誰しも身に覚えがあることだろう。逆に、自分が困っている側に立ったときに、まわりで見ている人はたくさんいるのに、誰からも助けてもらえなかったという経験をしたこともないだろうか。今回は、なぜ私たちは人を助ける行動に、一歩踏み出すことができないのかを、心理学の観点から解説していこう。

傍観者効果

 心理学では、困っている他者を自発的に助ける行動を「援助行動」と呼ぶ。重い荷物をもってあげる、道を教える、体調不良の人に声をかける。こうした行為は、日常的な援助行動の一例だ。実際のところ、「少し困っている」程度の状況であれば、わざわざ自分が助けなくても何とかなることは、たしかに多い。なので、こうした場面で手を挙げることに気が引けるのは、決して不自然ではない。では、より緊急性や切迫度の高い場面ではどうだろう。目の前で人が倒れたり、犯罪に巻き込まれそうになっていたりすれば、「さすがに自分も手を差し伸べないわけにはいかない」となるのだろうか。

 この疑問に関連する社会の出来事に、1964年のニューヨークで起きたキティ・ジェノヴィーズ事件がある。この事件では、夜中に1人の女性が暴漢に襲われて命を落としてしまったのだが、その際、38人もの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報したり、直接助けに入ったりしなかったと報道された1。つまり、緊急時であっても私たちは、援助行動がとれないことがあるということだ。

 当初、この出来事は「都市部の人間は冷たい」という論調でメディアに語られた。だとすれば、日頃誰かを助けることをためらってしまう私は、道徳観や人格に問題があるのかと感じるかもしれない。この世論に対して、社会心理学者のラタネらは一連の援助行動に関する実験研究から、キティ・ジェノヴィーズ事件で何が起きていたのかを検討した2。実験の結果から、自分1人しかいない場合では、多くの人が素早く援助行動をとったのに対し、自分以外にも他者がいる集団状況では、援助する人の割合が激減し、行動を起こすまでの時間も遅くなることが明らかになった。

 このように、周囲に他者がいることで援助行動が抑制されてしまう現象を「傍観者効果」と呼ぶ。従って、事件で援助行動が起きなかったのは、そこにいた個々人の人格の問題ではなく、その場を見ている人が多数いたという「状況」が、その行動を左右していたのである。

曖昧にさせない

イメージ    こうした現象があると知ることで、少し心が軽くなった人もいるかもしれない。しかし、なぜ集団のなかで、私たちは動けなくなるのだろうか。ラタネらは、その背景にいくつかの心理的要因を挙げている。

 まず1つが、「責任の拡散」である。周囲に人が多いほど、「自分がやらなくても誰かがやるだろう」と感じやすくなり、責任が分散することで集団内の誰のものでもなくなってしまう。次に「多元的無知」だ。周囲の人が行動を起こさない様子を見ると、「状況はそれほど深刻ではないのかもしれない」と事態を軽く解釈してしまうことがある。お互いが様子を見合ったことによる沈黙が、皮肉にも状況の深刻さを誤認する判断材料になってしまうのである。そして、「評価不安」である。もし自分だけが大げさに反応していたり、うまく助けられなかったら恥ずかしい。出しゃばりと思われたくない。こうした周囲の目に対する不安が、行動のブレーキとなってしまう。

 では最後に、どうすれば傍観者効果を弱めることができるのか。1つは、私たち自身がこうした心理的特性を知り、自覚的になることだ。「今、誰も動かないのは責任が分散しているからかもしれない」と気づくことができれば、「誰かがやるだろう」ではなく「私がやらなければ」という意識に切り替えることができる。また、職場などでは、援助行動へのチャレンジが非難されない雰囲気づくりや、制度設計も有効になる。積極的な行動が「出しゃばり」ではなく「歓迎されること」だと組織内で共有されていれば、評価不安が和らぐからだ。

 そして、もし自分が助けを求める立場に置かれたときには、状況を「曖昧にしない」ことが非常に重要になる。「誰か助けてください!」と不特定多数に呼びかければ、その責任は再び宙に浮いてしまう。そうではなく、「青いシャツの方」「黒の丸メガネの方」のように具体的に相手を指名することで、責任の拡散を断ち切ることができる。加えて、「◯◯で困っています、●●してください」と自分が困って助けを求めていることや、どのように介入してほしいのかを明確に伝えることも、多元的無知の防止に有効だ。

 年度の切り替わりは、日々の生活をともにするメンバーが不特定多数で入れ替わるタイミングでもある。これを期に、自分の所属する組織が傍観者効果の起きやすい環境になっていないか、一度振り返ってみてはいかがだろうか。

1  非常に重要な補足として、後年になってこの事件に関する報道には誇張があったことが指摘されている。実際には、ほとんどの人が事態の状況を正確に認識できていなかったことや、暴漢を止めるよう犯人に声がけした人、警察に通報した人がいたことなどがわかっている。そのため、この事件は厳密には人の援助行動に疑義を投げかけるものではなかったのだが、ここでは事件の真偽の部分ではなく、こうした実社会での出来事をきっかけに援助行動に関する心理学研究が進んだという点に着目してほしい。
2  Latané, B., & Darley, J. M. (1970). The Unresponsive Bystander: Why doesn’t he help? New York: Appleton-Century-Crofts.


<プロフィール>
須藤竜之介
(すどう・りゅうのすけ)
須藤 竜之介1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は人間環境大学総合環境学部環境情報学科講師。

< 前の記事
(18)

月刊まちづくりに記事を書きませんか?

福岡のまちに関すること、建設・不動産業界に関すること、再開発に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。

記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。

記事の企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は別途ご相談。
現在、業界に身を置いている方や趣味で建築、土木、設計、再開発に興味がある方なども大歓迎です。
また、業界経験のある方や研究者の方であれば、例えば下記のような記事企画も募集しております。
・よりよい建物をつくるために不要な法令
・まちの景観を美しくするために必要な規制
・芸術と都市開発の歴史
・日本の土木工事の歴史(連載企画)

ご応募いただける場合は、こちらまで。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。
(返信にお時間いただく可能性がございます)

関連キーワード

関連記事