37年ぶりに『お母さんは宇宙人』(橋幸夫、角川書店)を再読した。著者はあの名歌手(昨年死去)である。私が母の介護を終え、父をともなって山形から上京してきた3年後に出版された。当時、認知症は「痴呆症」「呆け」といわれ(認知症という言葉が使われたのは2005年から)、病気の原因が特定されているわけではなかった。橋さんは私より1つ上の年齢で、似たような体験をしていたことに親近感を抱いていた。
介護保険のない時代、身内の誰かが
生活を犠牲にして看るしかなかった
当時(40年以上前)、山形では呆けた祖父母の介護は長男の嫁と決められていた。長男である私の場合も結婚したばかりの妻が介護の中心を担った。母の介護のために山形に連れてこられた妻は正に貧乏くじを引くことになった。この件は拙著『S病院老人病棟の仲間たち』(文藝春秋、1988年刊)に詳しい。橋家の場合、9人兄姉の末っ子だった幸夫夫妻が母の介護をすることになり、当然のごとく幸夫の妻・凡子(なみこ)さんがそれを担った。本の冒頭は、1988年9月某日(拙著上梓と同年)、姑のサクさんが初めて徘徊したことから始まる。こうである。
「早朝であった。五日ほど前から高熱を出して寝込んでいた母を凡子が一度、寝室にそっと様子をうかがいにいった。それが7時頃である。母はそのときはすやすやと寝息を立てていた。ところが一時間後、突然家に電話がかかってきた。発信人は警察だった。『お宅にハシ・サクさんていらっしゃいますか』。応対に出た凡子はさっき母が眠っていたのを確認していた。家にいるのは当たり前ではないかと思いながら、なんだろうこの電話は、とちょっと腹が立った」。念のためにもう一度見てほしいという警察の申し出に寝室を覗くと、「布団はあってももぬけの殻」。警察で保護しているという電話に凡子さんは放心状態。事態が呑み込めない。徘徊する母を追う凡子さんの辛苦はここからスタートする。
40年前の山形は認知症専門の病院も医者も、専門に介護するグループホームもなく、特別養護老人ホームや介護施設なども数えるほどしかない。高齢者は家で看るのが当たり前の時代だった。とくに呆け老人を抱えた家族が一時的とはいえ精神病院(それしかなかった)に入れようとすると、「精神病院に親を入れて、親不孝者だ」と陰口をたたかれた。そこでできるだけ他人の目に触れさせないようにするために、呆け老人の部屋にカギをかける家族もいた。「座敷牢」である。
当時の山形は、全国でも有数の低所得県であったため、共稼ぎの家庭が圧倒的に多かった。そこで義父や義母が「寝たきり」や「呆け老人」になると、嫁が仕事を辞めて介護にかかりきりになった。これを「看たもの貧乏」といった。この貧乏くじを引くのが「長男の嫁」と決まっていたため、長男に対する嫁不足が深刻だった。息子の配偶者、つまり息子の嫁が嫁ぎ先(息子)の両親を看るのが、2001年(介護保険制度適用直後)では 31%。16年には16.3%と約半分に減少している(「国民生活基礎調査」より)。これは介護保険制度により、多くのサービス(デイサービス、訪問介護、各施設への入居など)を利用するという選択肢が増えたことを意味している。
徘徊には必ず目的がある。
ただ、家を出た途端に忘れるだけだ
さてその後の橋家はどうだったのだろう。「家にドロボーがいる(物盗られ症状)」「家の隅に誰かがいる(幻覚)」そして「昼夜に関係なく外に出歩く(徘徊)」。とくに徘徊には家全体にカギをかけて外に出られなくするという方法もあった。だが、ボケ老人の意思や行動に背く行為は当事者の症状の悪化を招くことを学習していた凡子さんは、ひたすらサクさんと行動を共にする。それしか選択肢がなかった。1人の背中に重くのしかかる。
最近になって徘徊という言葉を変えようとする動きがある。徘徊とは目的もなく彷徨い歩くさまをいう言葉である。ナイスガイが夜の巷を徘徊するという使い方だ。でも、認知症当事者には徘徊する明確な目的がある。故郷に帰りたい、あの人に逢いたい、という具合に。認知症は「昔のことは覚えていても、直前のことは忘れてしまう」という病気である。ある目的をもって戸外に出たものの、その目的を忘れてしまう。すぐに「ここは何処、私は誰」状態になる。いきなり錯乱状態に陥り、混乱をきたす。
朝日新聞は5月初旬から「あなたはどこに 認知症の行方不明者」を特集している。全国で24年度の認知症の約1万8,000人が行方不明になり、そのうち171人は25年末時点でも行方不明者届が解除されず、「未発見」の状態であるという。徘徊は突然起こる。
「2024年7月15日の正午前。札幌市の小杉正規さん(80)は、庭仕事を終えてリビングでくつろいでいた。ソファでは、妻の美恵子さん(77)がうたた寝をしていた。孫から送られてきた近況報告のLINEを見て、正規さんが語りかけると、美恵子さんはかすかに目を開けて反応したが、すぐにまたまどろんだ。妻がいなくなったのは、そのわずか10分後だ。正規さんが書斎に移っていた最中に、物音も立てないままサンダルで外に出ていった」(同、5月4日)。正規さんが家にいないと錯覚した美恵子さんが不安に駆られ、正規さんを探しに家を出たと考えられた。橋幸夫さんの母親が初めて徘徊した状況と酷似している。サクさんの場合は警察に保護され、無事帰宅できたのだが、美恵子さんは未発見のままである。たった10分間の空白時に起きた出来事なのだ。正規さんは捜索のチラシを配りながら今も妻の帰りを待ち続けている。
「昨年7月29日の未明、埼玉県の病院で1人の高齢者が誰にもみとられぬまま息を引き取った。男性の名前も年齢も、正確にはわからない」(同 26年5月5日)。路上で発見されたとき、手にもっていたものは傘だけ。その傘にうっすらと「大和田」と書かれていたので、身を寄せた埼玉県毛呂山町の救護施設「育心寮」では「大和田栄」さんと呼ばれた。救護施設というのは、「生活保護法に規定された施設で、身体や精神に障害があって日常生活が困難な人が、生活保護を受けながら集団生活を送る」施設。大和田さんの遺骨は川口市の霊園に安置されている。今のところ引き取り手はない。
「全都道府県のサイトに載っている公表情報を集計したところ、4月上旬時点で身元不明者の情報を掲載していたのは、北海道や神奈川、鹿児島など18都府県で計135人。最多は25人の大阪で、東京24人、福岡15人と続いた」(同)とある。このうち認知症の疑いがあると明記されていたのは7人。東京が5人、静岡、福岡が1人ずつ。この7人は徘徊の末、保護されたとみるべきだろう。
お婆ちゃんは宇宙人だ!
「お婆ちゃん、もしかすると宇宙人かもしれない。地球以外の星からきた、愉快なスペースウーマン。なぜだかわかる? 私たちのために神さまが派遣してくれた、幸せのプロデューサーということ。私たちにいろいろなことを教えて、夫婦兄弟を仲良くするために派遣されたのがお婆ちゃんというわけ」(『お母さんは宇宙人』より)。確かに9人兄弟という大所帯なのに、凡子さんを中心としたサクさんの介護が、他の兄弟を巻き込みながらそれなりに揉めごともなく行われてきたことは奇跡に近い。これに遺産相続問題などが絡みあい、壮絶なバトルに発展し、兄弟が疎遠になったという事例を数多く見てきた。穿った見方をすればサクさんの認知症が夫妻兄弟の和を強めたといえなくもない。ただし橋家の場合は稀な例だ。
朝日新聞の特集の最後に、私が一時期同じマンションで親しくさせていただいた漫画家の蛭子能収さんの現状報告が掲載されていた。蛭子さんは認知症になりながらもマネージャーや周囲の協力で元気に制作活動を続けていることは以前紹介した。蛭子さんの真骨頂は、「いつまでも働いてお金を稼ぎたい」という欲望だ。『サンデー毎日』で週に一回連載を受け持っている。目を離したすきにどこかに出ていく可能性が高いので、常に誰かが付き添う。認知症当事者としては恵まれた環境にいるといえる。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。








