エネルギーサイエンティスト(元東工大) 澤田哲生 氏

生成AIとデータセンターの拡大により、電力需要は新たな局面に入った。原子力の再活用は現実的な選択肢となりつつあるが、その前提には「核のゴミ」の最終処分と、事業者・規制当局への信頼という未解決の課題が横たわる。文献調査が複数地域に広がる一方で、合意形成や責任主体の曖昧さはなお残る。AI時代の電力基盤をどう支えるのか。原子力を賛否ではなく、成立条件から問い直す。
先送りされてきた「不都合な前提」
電気が足りない時代が、もう目の前にきている。生成AIの普及とデータセンターの急増により、世界の電力需要は今後10年で構造的に跳ね上がる。大規模データセンター1棟が消費する電力は、中規模都市に匹敵するともいわれる。半年前、本誌に寄稿した『AI時代の基盤産業としての原子力 革新軽水炉と浮体式原発が切り開く新時代』では、この需要を支える安定電源として、原子力発電の必要性を論じた。半年が経ち、その流れはむしろ加速しており、後退する気配はない。米国ではGoogleやアマゾンといったテック大手が、自社のデータセンター向けに小型の原子炉へ直接投資を始めた。
ここで強調しておきたいのは、AI・データセンター時代の原子力は、必ずしも従来型の大型炉である必要はないということだ。むしろ、小型モジュール炉(SMR)とデータセンターを一体のアセットとして組み合わせ、需要地の近くにノードを打つように分散配置していく方向が現実的だろう。さらに踏み込めば、これを洋上浮体式にして日本の沖合20〜30kgに係留する選択肢も視野に入れたい。立地確保の難しさ、地震・津波リスク、地元合意の重さといった、陸上立地が抱える構造的な制約から自由になれる可能性がある。そして何より、こうした分散型・小型・洋上という新しい構成は、これまで原子力に関わってこなかった非電力系の民間企業──商社、IT、海洋エンジニアリング、ファイナンス―が事業者として参画する余地を大きく広げる。原子力を一部の大手電力会社に閉じた産業から、もっと開かれた産業構造へと組み替える契機にもなり得る。
日本でも、止まっていた原発の再稼働、運転期間の延長、次世代炉の開発が、エネルギー政策の中心に据え直されている。しかし、推進のアクセルを踏むほどに、これまで「いずれ解決する」として棚上げされてきた2つの宿題が、いよいよ表に出てきた。1つは、原発を動かせば必ず出る「使用済み核燃料の最終的な捨て場所」をどこにするか。もう1つは、原発を動かす電力会社と、それを監督する規制当局―どちらも本当に信頼できるのかという問題である。ここには最新のITというよりAIが入り込む余地があると私は見ている。前者については、北海道の寿都町と神恵内村に続いて、佐賀県玄海町、さらに東京都小笠原村の南鳥島でも、処分場の候補地になり得るかを調べる初期段階の調査が始まった。後者については、中部電力・浜岡原発で、地震の揺れの想定や安全対策工事のデータをめぐる不適切な処理が次々に表面化している。
経営者の言葉で言い換えれば、これは「事業の前提条件が整っていないまま、設備投資の意思決定を急いでいる」状態に近い。本稿では、この2つの前提が今どこまで固まり、どこに穴が空いているのかを点検し、原発再推進という国家方針を本当に持続可能なものにするために何が足りないのかを考えたい。
原子力をめぐる議論は、もはや「賛成か反対か」の段階ではない。「成立する条件を満たせるか」を冷静に問う段階にきている。
文献調査の「進展」は
解決への進展になるのか
最終処分場の候補地選びは3段階のプロセスで進む。まず「文献調査」で過去の地質データなどを机上で点検し、次に「概要調査」でボーリングなどを行って地下構造を調べ、最後の「精密調査」で地下深部に試験施設をつくって詳細な評価を行う。そのうえでようやく建設地が決まる。文献調査だけでも最大20億円、概要調査に進めば最大70億円の交付金が地元自治体に支払われる仕組みになっている。
現在、この第1段階の文献調査が、4つの地域で進んでいる。北海道の寿都町と神恵内村、佐賀県の玄海町、そして東京都の小笠原村南鳥島である。制度の入口を4地域がくぐったという意味で、これはたしかに「進展」だ。長年、どの自治体も手を挙げなかった状況からすれば、まずこの動き自体は評価されるべきだろう。
ただし、この進展が最終処分問題の実質的な解決可能性に直結しているかというと、話は別である。4地域に共通するのは、いずれも自治体首長の判断と、交付金という経済的インセンティブが事実上の推進力になっている点だ。住民投票や徹底した地域議論の積み上げを経て手を挙げたわけではない。寿都町では町長判断に対して町内に深い亀裂が走り、神恵内村は商工会の請願というかたちで始まった。南鳥島は無人島であり、そもそも「住民との合意」という論点自体が成り立たない。立地としての適性と、社会的プロセスとしての正当性は、別の軸で評価する必要がある。
そして本誌の読者にとって最も身近なのが、佐賀県玄海町のケースだろう。九州電力玄海原発を抱え、長年にわたって原子力と共生してきた自治体である。脇山伸太郎町長は2024年5月、町議会の請願採択を受けるかたちで文献調査の受け入れを表明した。原発立地自治体が処分場の候補地検討を受け入れたのは全国初であり、その意味で象徴的な決定だった。しかし、佐賀県の山口祥義知事は受け入れに慎重姿勢を示し、玄海町の周辺自治体からも懸念の声が挙がった。次の概要調査に進むには都道府県知事の意見を「尊重」する仕組みになっており、県知事が反対すれば事実上ストップする。玄海町の決断が、佐賀県全体の合意につながる保証はどこにもないのが現状だ。
問われる「決定の責任主体」
ここで参考になるのが、世界で最も早く、最終処分場の建設が実際に進んでいるフィンランドのオンカロである。日本ではしばしば「住民合意の積み上げで決まった」と語られがちだが、実態はやや異なる。フィンランドでも住民は議論プロセスに深く関与した一方、最終的な立地決定の責任を負ったのは、事業者であるポシヴァ社と、それを承認した国会・政府であった。独立した規制機関が技術判断を担い、責任の所在は終始明確だった。住民が決めたのではなく、責任主体が決め、社会がそれを信頼した―この順序が決定的に重要である。
翻って日本はどうか。NUMO(原子力発電環境整備機構)と経済産業省・資源エネルギー庁が繰り返してきた「対話集会」には、構造的な倒錯がある。本来、対話とは決定責任を負う主体が判断材料を社会と共有し、批判を受け止めながら自らの判断を磨いていく営みである。ところが現状の対話集会は、いつしか「住民の合意調達」の手段に変質してしまった。地元住民が望んでいるのは、議論や意見交換の場に参加することであって、最終決定の責任まで肩代わりさせられることではない。決定の責任は、事業者と国家が引き受けるべきものだ。日本の現行制度は、入口の交付金は手厚く、対話の場も設けてはいるが、肝心の「責任主体が引き受ける」という覚悟の表明が、どうにも見えてこない。この点は本稿の後段で改めて論じる。
文献調査が4地域に広がったことは、たしかに制度上の前進である。しかしそれは、最終処分問題のゴールに4歩近づいたという意味ではない。むしろ、これまで覆い隠されてきた「合意形成プロセスの不在」という構造問題が、ここから先の段階で本格的に露呈してくる入口に立った、と捉えるべきだろう。
文献調査から先へ
立ちはだかる3層の壁
文献調査の次に控えるのが、「概要調査」と「精密調査」である。ボーリングで地下構造を実測し、地下深部に試験施設をつくって詳細評価を行う。文献調査が「机上の点検」であったのに対し、ここから先は実際に土地を掘り、地域社会の景観や生活と物理的に交わる段階に入る。求められる社会的合意のレベルが、ケタ違いに上がる。
そして、この段階で日本の制度は、少なくとも3つの構造的な壁に直面する。
第1の壁は、制度設計の曖昧さである。現行法では、概要調査に進む際、経済産業大臣は地元自治体の首長と都道府県知事の意見を「尊重する」と定められている。だが、「尊重」とは何か。反対意見が出たら止まるのか、それとも参考意見として聞き置けば足りるのか。法文上、最終的な決定権者である国の判断基準は明らかではない。これは一見、知事や首長に拒否権を与えているように読めるが、裏を返せば、国が責任をもって「進める」と決断する根拠もまた曖昧なままだ、ということでもある。前節で述べた「決定の責任主体」の不在が、ここで制度的に固定化されている。佐賀県知事が慎重姿勢を維持する玄海町のケースは、まさにこの曖昧さが現実問題として浮上する典型例だろう。
第2の壁は、社会的合意の射程である。処分場の影響は、立地自治体のなかだけで完結しない。隣接自治体、輸送ルート沿線、漁業権を持つ周辺海域――関係者の輪は同心円的に広がっていく。玄海町が手を挙げても、唐津市や壱岐市はどうか。佐賀県全体、ひいては福岡県や長崎県はどう関わるのか。経営者の感覚でいえば、これは「契約当事者以外のステークホルダーをどう取り込むか」という問題に近い。M&Aや大型開発案件で、当事者間の合意だけでなく地域社会・取引先・従業員・株主への説明と納得の調達が不可欠なのと同じである。ところが最終処分の意思決定プロセスには、こうした周辺ステークホルダーを正式に組み込む仕組みが、ほとんど存在しない。
第3の壁は、時間軸のミスマッチである。最終処分場は、10万年単位で放射性廃棄物を地なかに閉じ込めることを前提とした施設だ。一方、これを決定する政治家の任期は4年から6年、企業経営の意思決定サイクルは長くても10年程度である。経営者なら誰しも実感するはずだが、10年先を見通すことすら容易ではない時代に、10万年の責任を引き受ける制度設計を、現行の政治・行政の枠組みだけで担えるのか。これは日本特有の病でもある。かつて丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ、誰もが「自分は決定者ではない」と語り、最終的な責任主体がどこにも見当たらない構造──最終処分の意思決定プロセスは、その現代版そのものに見える。地位や権限を「である」ことの所有としてではなく、責任を「する」ことの不断の行使として引き受ける覚悟が、決定的に欠けている。
未来世代を意思決定の当事者に
ここで1つ提案したい。NUMOと資源エネルギー庁に、次の30年を実際に担うことになる世代──今の中学生から30歳前後までを中心とする「未来世代アドバイザリー・ボード」を設置し、意思決定の補佐役、いや主役の一翼として位置づけるべきではないか。人数は15名前後が望ましい。これは英国の人類学者ロビン・ダンバーが示した「サポート・クリーク」、すなわち人間が深い信頼と濃密な議論を持続的に維持できる集団の認知的上限である。意思決定を実質的に支えるボードは、この規模を超えると相互理解が薄まり、形骸化する。お飾りの諮問機関ではなく、議事と判断材料の完全な透明化、そして実質的な再考要求権をともなう、密度の高い熟議体として設計すべきだ。
これは反対派からの要求ではなく、むしろ推進側こそ採用すべき仕組みである。未来世代が判断材料を共有したうえで出された結論は、世代を超えた正統性を獲得する。逆にこれを欠いたまま進められた決定は、20年後、30年後に「あの世代が勝手に決めた」と批判される脆弱性を抱え続けるだろう。経営者の感覚でいえば、長期投資案件における「将来の承継者を意思決定プロセスに早期参画させる」のと同じ発想である。
この3層の壁は、それぞれ独立した課題ではない。制度の曖昧さがあるから周辺ステークホルダーを巻き込む仕組みが整わず、時間軸のミスマッチを埋める長期的な責任主体も育たない。制度・社会・時間の3層を同時に組み直す構想力が求められている。文献調査が4地域に広がったことは入口に過ぎず、本当の難所はここから先にある──この認識が、推進側にも反対派にも、決定的に不足している。
浜岡が露呈させたもの
事業者信頼性と規制の実効性
最終処分問題が「出口」の課題であるとすれば、もう1つの宿題は「運転中」の課題である。中部電力・浜岡原発で表面化した一連の不適切事案がその象徴だ。地震動評価をめぐるデータの扱い、安全性向上対策工事における施工記録の不備──個別の事案を超えて問われているのは、再稼働を申請し審査を受け続けてきた事業者の内部統制と、それを審査する原子力規制委員会の実効性である。
経営者の言葉でいえば、これはガバナンスとコンプライアンスの問題に他ならない。上場企業が同種の不適切事案を繰り返せば、市場の信頼は瞬時に失われ、取締役の善管注意義務違反が問われる。ところが原発をめぐっては、不適切事案の発覚と再発、規制側の指摘と事業者の対応、という同じパターンが繰り返されながら、誰の責任で何が変わったのかが社会に伝わらないまま時間が過ぎていく。
原発を最大限活用するという“原発再推進政策”は、事業者への信頼を暗黙の前提として組み立てられている。その前提が浜岡で揺らいだ意味は重い。福島第一原子力発電所事故の最大の教訓は、技術論ではなく、「安全文化」という組織論的課題だったはずだ。14年が経ち、その教訓が事業者と規制当局の双方にどこまで根付いたのか。AI時代の電力基盤として原子力を本気で位置づけるなら、推進の旗を振る前に、まずこの1点に向き合う必要がある。
再推進を現実にするために3つの不足
ここまで論じてきた課題を、政策論として束ねれば、不足しているものは3つに整理できる。
第1に、責任主体の決意と矜持である。先に触れた通り、NUMOとエネ庁は「住民の合意」を演出することに腐心するあまり、「我々が決定の責任を引き受ける」という意志表明から後退してきた。最終処分は事業者と国家が背負う事業であり、住民との対話はその覚悟が示されて初めて成立する。
第2に、未来世代を制度に組み込む仕組みである。前節で提案したダンバー数規模のアドバイザリー・ボードは、その最小単位の試みになり得る。
第3に、推進産業の構造的開放である。冒頭で触れたSMR【図】、洋上浮体式、非電力系民間企業の参入は、原子力を一部の大手電力会社に閉じた産業から、開かれた産業構造へと組み替える契機となる。
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原子力は、もはや賛否で語る時代ではない。AIが膨大な電力を必要とするこれからの時代を本気で支えるなら、推進派こそ問われる──核のゴミをどうするのか、このまま電力会社を信頼していけるのか。この2つの宿題に答えが出ないままでは、推進も反対も成り立たない。
私たちは、冷静に、しかし当事者として問い続ける必要がある。AI時代の電力は、もはや業界の問題ではなく、国民1人ひとりに関わる問題だ。福岡・九州の経営者はもちろん、日本の現役世代、そして次の世代すべての責任である。AI時代の原子力を、電力業界任せにしてはいけない。業界の外にいる私たちこそ、いま積極的にコミットすべき時がきている。
<PROFILE>
澤田哲生(さわだ・てつお)
1957年、兵庫県生まれ。エネルギーサイエンティスト。京都大学理学部物理学科卒業後、三菱総合研究所に入社。ドイツ・カールスルーエ原子力研究所客員研究員をへて、東京工業大学ゼロカーボンエネルギー研究所助教(2022年3月まで)。専門は原子核工学。近著に『やってはいけない原発ゼロ』(エネルギーフォーラム)。












