2024年05月07日( 火 )

富士重工が社名を「SUBARU」へ、16年3月期の純利益66.7%増

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subaru 社名よりもブランド名の方が知られている企業は多い。「スバル」もその一つだろう。そこで富士重工業(株)は5月12日、創業100周年を機に、来年4月1日付で社名を「(株)SUBARU」に変更すると発表した。「スバル」といえば同社の自動車事業のブランド名とのイメージが強いが、ほかに手がける航空宇宙産業と合わせて、さらにグローバルブランドとして発展させるのが目的としている。

 同社は飛行機研究所が創設された1917年を創業年としている。飛行機研究所は海軍大尉だった中島知久平が設立し、31年に中島飛行機(株)と改称された。戦前から戦中にかけ、中島飛行機では九七式戦闘機、隼、疾風など数多くの戦闘機を開発。また三菱設計の零戦をライセンス生産したことでも知られる。戦後、富士産業(株)に改称して民需転換を図るが、50年に企業再建整備法によって12社に分割。53年に富士重工業が設立された。

 スバルとは、おうし座にあるプレアデス星団の和名であり、別名「六連星(むつらぼし)」。富士重工業が53年に旧中島飛行機系の5社を吸収合併したことから、6社を統べるという意味で「スバル」ブランドが生まれた。最初にスバルの名前が冠されたのは試作車の「スバル1500(P-1)」。後に販売された軽自動車「スバル360」の大ヒットにより、スバルというブランド名は広く知られるようになった。とくに同社は水平対向エンジンと四輪駆動にこだっており、それを支持する熱心なファンは「スバリスト」と呼ばれる。

 同社は中核事業である自動車部門の強化を図るため、社内カンパニーの産業カンパニーを10月1日で自動車部門に統合する。産業カンパニーが手がける産業関連事業の既存製品の製造とサービスは当面継続するが、開発案件は全て中止。その人員を自動車部門に回すとしている。これは同社が2014年に発表した中期経営ビジョン「際だとう2020」の取り組みであり、全社的な経営資源の配分を最適化するためであるとした。同社は世界90カ国で自動車事業を展開しているが、さらなる事業強化により「スバルブランド」の成長を目指す。

 また12日、同社は16年3月期の連結決算を発表。純利益は前期比66.7%増の4,367億円だった。スバル車は北米の販売台数が7期連続で過去最高を更新するなど好調で、全世界販売台数は同5.2%増の95万8,000台。国内では新型車効果が薄れたことから同10.7%減の14万5,000台だったが、海外は同8.6%増の81万3,000台と着実に伸びている。

 売上高は為替変動や販売増により、前期比12.3%増の3兆2,323億円。営業利益は同33.7%増の5,656億円、経常利益は同46.6%増の5,770億円だった。海外販売でレガシィ・アウトバックが年度を通して好調だったことに加え、北米市場でインプレッサ・クロストレックが順調に推移したためという。

 17年3月期は、北米などでの増加を見込み、同社としては初めて100万台超えとなる前期比9.6%増の105万台を計画。業績予想は為替レートを円高で見込み、売上高は同1.9%減の3兆1,700億円、営業利益は同25.7%減の4,200億円、経常利益は同27.2%減の4,200億円、純利益は同32.9%減の2,930億円とすべて下方修正している。

【平古場 豪】

 

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