2024年05月05日( 日 )

強さは連続してこそ認められる 来年もがんばれ!!

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 11月5日に41年ぶりに「優勝パレード」が行われた。広島カープの優勝は今年で7回目。私が入団した頃、全国の野球ファンのなかに広島カープが将来きっといい球団になり、優勝するだろう、こんな予測を立てた人はほとんどいなかっただろう。

 事実、私もカープに入団を決めるときに、将来優勝するだろう、優勝できる、ということを考えたかというと、実は考えたことがない。「試合に出たい」「試合に出る」。こればかりを考えて球団を選んだはずである。

 地元のカープファンの中にすら「1度は優勝を見せてくれよ!」という声はあっても、「優勝できるだろうという期待」を持って球場に応援に来てくれたファンはどのくらい存在したのだろうか?私が入団した頃のキャンプから公式戦の始まる頃の雰囲気は、このようなものだったのだ。

 それから3年、当時の広島の経済界を支えていた「双葉会」がカープを全力を挙げて応援してきていただいたこともあり、少しずつカープは軌道に乗っていった。球団運営にも資金的にも大きくなってきて、当時の東洋工業を訪ねて社長の松田恒次社長に「カープをお願いしたい」ということになる。1968年からチームの名前が「広島東洋カープ」に変わり、ここから優勝への道が始まったと言っても過言ではないだろう。

baseball 球団責任者となった松田社長の「1度はファンの皆さんにお礼をしたい」「優勝をして喜んでいただきたい」という号令のもと、67年には根本氏をコーチとして招聘、翌年には監督に抜擢、次の時代をつくるというチームの方針がハッキリとした形になって動き出した。

 68年、衣笠をテスト、その年のオフには山本浩二、水沼四郎という選手をドラフト会議で獲得、2軍で育てた水谷選手、三村選手にもチャンスを与えてチームの骨格をつくろうとした。ここから経験を積ませるためにアメリカにキャンプに行かせ、教育リーグに派遣し、新しい経験を積極的に積ませて、若い選手に視野を広げて、自信をつけさそうという考えだっただろうと思う。

 72年、根本監督は休養、73年には別当監督にお手伝いいただいたが、私自身、シーズンを通じて結果を残せなかったこともあり、72年、73年、74年と連続して最下位という悲しい現実の中を歩き、悔しい思いがチームを取り巻いていた。74年に我々の先輩の森永監督が誕生、アメリカからジョー・ルーツ氏をコーチとして招聘した。チームを違った角度から見られる人を招き、改造に入った。

 この時、もう1つ選手にとってありがたかったのは球団代表職に元全日本代表まで頑張られたサッカー経験のある「重松代表」が就任していた事ではないかと思う。同じ選手としてグランドでの経験をもち、全日本の経験もある選手だけに選手に求めるところが的確だったと思う。

 そして、このオフに外国人監督ジョー・ルーツ誕生ということになり、秋の練習で彼は動き出すのである。1年間チームを見てきて、どこを改造するか?何が足りないか?彼は答えをしっかりと持ってオフに動き出した。

 ルーツ監督は安仁屋-若生という阪神とのトレードをやった。日本人監督ではできなかっただろう。驚いた。当時の東映に若い投手を出して1番打者の大下選手を獲得、これもすばらしい一手だった。阪急ともトレードを行い、改造を進めた。

 そして、彼が行ったもっとも大きなチームの改造は「意識改革」である。「優勝するために練習するのだ」。知っていても分かっていない簡単なことを毎日、彼は選手の頭に叩き込むということに取り組んだ。ここまでで、どれだけの人がチームに関わったのだろうか。我々に経験と知識を植え付けるために関根コーチ、広岡コーチ、小森コーチが奮闘してくれた。皆さん厳しい方ばかりだったが、しっかりとした「理論」を頭だけでなく体に入れることができた。このおかげで長く野球をやらせていただけた。

 こうして迎えた75年、オフのパレードなんか誰も考えてないシーズン・スタートだった。だけど、この年の「シーズンの目標」は「優勝」だったのだ。毎日、毎日、ルーツ監督に言われ続けて、いつの間にかそんな標語に慣れていった選手たち。ここが優勝を目指すスタートだっただろう。

 今回、パレードしている選手を見ながら、この選手たちはどの様なプロセスを踏んでこのパレードに到達したんだろうか、そんな思いが湧き上がってきた。黒田、新井両選手は入団以来、多くのコーチ監督の教育を受け、先輩のアドバイスをもらい、見てきて成長してきたことを知っているが、丸選手はどうだったのかな?菊池選手の入団はいつだったかな?田中選手はドラフトで最近入って来たよな、などなど。この3人は今カープを支える選手に成長したが、誰にどんな教育を受けてきたのかな?何を教えてもらってきたのかな?優勝というすばらしいものを手に入れるための方法をどうやって手に入れたのだろうか。さまざまな疑問が頭を埋め尽くした。

 投手陣では、野村投手は黒田投手の姿を一所懸命に見てきた2年間だっただろう、どこまで見抜くことができたかな?福井投手にもう少し見て欲しかったが、1軍と2軍ですれ違いが長かったように思う。もう一人大瀬良投手も見て欲しかったが、経験が足りなかったかな?まだ黒田投手が解っていなかったかも知れないと思う。だが、時間が経てばきっと良さを思い出してくれると信じよう。
 ジョンソン投手も、さすがにメジャーのドラフト1巡目40位で名前が上がっただけのピッチングを見せてくれた。とくにシリーズではよく心をコントロールしたと思える場面がいくつもあった。来年はこの投手がいい参考材料になることだろう。

 こうして考えてみると今日のメンバーは優勝する苦しさをあまり経験してないように感じるのは私の老婆心だろうか?優勝はそんなに簡単なものではないという私の勝手な考えだろうか?我々は教育されて、鍛えられて、経験を積んでやっと優勝したチームだと思う。今年のチームはスピードと長打力を持った素晴らしいチームである。だが唯一心配するのは、この優勝する苦しみを経験しなかったというところだ。
 1年だけ強くても人は信用してくれない。2年、3年と強いチームになってこそ周りの人が「カープはいいチームになったね」と言ってくれると思う。それだけに来年どんな戦いを見せてくれるか?その次の年はどうか?先のことを気にしながら楽しいパレードを見ている自分に気がついた。

 とはいえ、やはり優勝パレードはいいもの。選手や関係者全員の笑顔がファンの方々を楽しくし、日々の生活にきっと元気を提供してくれたものと思う。さあ!!!来年もがんばろう!!!!!!

2016年11月14日
衣笠 祥雄

 

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