2024年05月04日( 土 )

福岡建設業界を牽引した企業たち(2)~マンション受注傾斜に泣いたゼネコン

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 福岡の建設業界に49年以上の長きに渡り身を置いていたA氏。昭和50年当時、福岡建設業界のトップランナーは辻組だったと断言するA氏だが、他にも忘れられない建設業者がいるという。「高松組」がそれだ。

3本柱の受注体制

 1916年(大正5年)、福岡県三井郡で高松友次氏によって創業されたのが高松組のはじまり。41年5月に(株)高松組として法人化し、官庁・医療法人・デベロッパーの3本柱の営業で受注基盤を確立させていく。民間元請を主体とし、オフィス・商業ビル、老健施設、マンション建設工事などを手がけていた。代表的な仕事に、九州国立博物館やアクロス福岡の建設工事がある。

 代表は代々高松一族が務め、75年(昭和50年)1月に本社を福岡市中央区薬院に移転。業績は安定的に推移し、2000年代に入ると不動産部門を開設。自社で施工した共同住宅の管理なども手がけ、07年3月期には大台となる売上高100億円を突破した。

マンション受注への傾斜

 幅広く工事を手がける同社だったが、小泉政権下の「聖域なき構造改革」による公共工事の減少などの影響を受け、徐々にマンション建設へと傾斜していく。主な案件として、JR九州発注の「MJR」シリーズをはじめ、地場大手デベロッパー(株)ユニカの「香椎浜3丁目(A棟)」や岡部産業(株)の「サヴォイ美野島」などを手がけていた。特にユニカ発注の香椎浜の案件は、総面積58,000m2の敷地内に、33階建ての分譲タワーマンション(491戸)、賃貸マンション4棟(合計1,139戸)、多目的スポーツ広場などを擁する大型事業の一環であり、大きな話題を呼んだ。

 しかし、同社が手がけた賃貸マンション(A棟)建設は、ユニカが売却予定先としていた(株)リプラス(本社:東京都)の破産により暗礁に乗り上げる。結局、ユニカは新たな売却先を見つけることができず、事業は頓挫。同社は当該工事での請負代金約16億円が回収不能となる事態に陥った。マンション受注や共同開発が増えるにつれて、借入金による事業展開が顕著になっていた同社にとって、大きな痛手となった。

誰もが驚いた倒産

同社本社があった場所は現在コンビニになっている

 09年5月15日、同社は「支払い資金が準備できない」として事業を停止。20日には53人の従業員が解雇となり、翌21日、ついに同社は福岡地裁に破産手続きの開始を申請した。これにより、MJRシリーズを含む、多くの施工中物件が工事の中断を余儀なくされた。また、取引行だったふくおかフィナンシャルグループは、約18億円の債権が取立不能または取立遅延になったと発表した。

 約65億円という負債総額と、結果として、請け負った仕事を途中で投げ出す形になってしまったことに、多くの業界関係者が衝撃を受けた。A氏は以下のように話す。

 「高松組が倒産した後、偶然ゴルフ場で高松さんをお見かけしました。あれだけの取引先に迷惑をかけたというのに、平然とプレイされている姿を見て、正直呆気にとられましたよ」。

 数多の施工実績からその名を広く知られた同社。だからこそ、その突然の幕切れにはさまざまな声が上がり、今もなお語り継がれている。

(つづく)
【代 源太朗】

 

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