2024年04月20日( 土 )

【インタビュー】「博多人形師 三代百年の伝承」(後)~中村人形三代目・中村信喬氏

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子や孫のために徳を積む

 ――博多人形師で一人前になるまでどれくらいの期間がかかるのですか。

中村 信喬 氏

 中村 ひと通り覚えるまでに最低でも10年。それから自分のお客さんが付いて、ご贔屓さんができるようになるまで、さらに10年。15~16歳ぐらいから丁稚奉公で入るのがいいんですね。昔は36歳に独立するのが良いといわれていました。独立できるまで最低20年。大学卒業してから3~5年勉強して独立しても続かないですね。「私みたいになりたい」といって入ってくる子がいますが、入門式では「悪いけど、僕にはなれない。私で三代百年かかっている。君の孫ならなれるかもしれない。そう思って頑張りなさい」と伝えます。たいていはガックリしますが、実際にそうなんです。私一代でできるものではないし、祖父が書き残した本や資料など、積み重ねがあって今の私があるわけです。私の息子や孫は、2~3歳の頃から絵を描き始めていますが、歌舞伎の世界と同じでスタートが全然違います。中学生ぐらいで高校生や大学生並みの絵を描いたりするようになります。

 ――才能よりも環境が大切ということですね。

 中村 私は、才能とDNAは20~30%ぐらいの要素でしかないと思っています。祖父や父親の姿を見て、自分でも何かをつくろうとする。それを毎日やっているわけです。いくら技術的に上手でも、技術だけでは飯が食えません。

 ――技術があっても飯が食えないというのは、作品の何が違ってくるのでしょうか。

 中村 一番は、惹き付ける力ですね。同じ技術であっても人が好むものは違います。その作品に惹き付ける力があるか。人が「手に取りたい」「見ておきたい」というものを生み出せるかどうか。それは勉強したからできるものではなく、人の喜びを積み重ねていって、子や孫に還ってくるものなんです。たとえばレストランだと、人のために美味しいものを一所懸命に作る店は続いていきますが、利益だけを追い求めるようになると、その子どもはそれを学び、代が変わるとダメになります。美味しいものをつくるということを叩きこまないといけません。

中村信喬氏が手がけた中洲流の飾り山(見送り)「本能寺の変」
※クリックで拡大

 私は夢や希望を与える人形師として、普段からそうありなさいと教えています。ご神体をつくる人形師だから、普段からそれに相応しい人間でありなさいと。うちの子は、生まれて2、3歳になった頃から、プレゼントを渡した後に、おじさんや弟子が横から「ちょうだい」といって手を出すんです。それで「はい」とあげることができるかを見ます。自分がどんなに苦労をしてでも人が喜ぶことを良いと思えるような人間に育てば、作品をつくりながら「人がどう思うか」ということを考えるようになります。それは決して迎合ではなく、夢や希望を与えるために、手間をかけて調べたり、作り直したり、ということを厭わない。それを代々積み重ねてやっていると、技術だけで同じものをつくっても、やはり、モノが違ってきます。

 ――コピー作品とオリジナルの違いというものでしょうか。

 中村 写真を見てそっくりに描いた絵に感動がないのと一緒です。レストランの社長に想いがあっても、従業員の対応が悪ければダメですよね。同じ材料でも握る人によって寿司の味が違うのは、言葉に表せない“何か”があるからです。そして、それが備わるかどうかは、その人の運のようなものだと思います。

 人間性が培われている方は運があります。仕事も来るし、人とも出会う。しかし、その運とは、一代で築けるものではありません。昔の人は、「あの人は運がいいよね」というと「先祖が良かったからね」と言われていました。先祖が徳を積んでいられたから、たとえ、その人が没落しても助ける人が出てくる。いくら技術があっても、そこが違えば、作品にも出てきます。企業の長期計画では3年というところも珍しくありませんが、私たちの長期計画は、最低でも30~50年です。だいたい100年で考えます。子や孫のために、私が徳を積み、最高のものをつくるということです。

 ――人を育てるという点で考えると3年は短すぎですね。

 中村 2、3年で転勤となれば、人間関係もしっかり作ることはできません。とくに最近は、デジタル化ともに、時代のスピードがどんどん速くなり、人との関係性も希薄になっているように感じます。私たちは(デジタルとは)真逆の仕事をしていますが、人間は何千年経っても変わらない。まわりの便利な道具は変わり、医学で少し寿命が延びても、人間が生きていくうえで必要な食事の量やお金の対価は変わりません。だから、今、オーガニックやスローフードというものが求められるようになっているのではないかと思います。子どもが健康に育つようにとお祭りに参加させたり、お雛様を飾ったりする親の想いも変わっていません。私たちは、人々の願いを込めるものをつくっているわけです。だから、「粥を食ってでも良いものつくれ」と祖父は言ったのだと思います。

(了)
【聞き手・文:山下 康太】

<プロフィール>
中村 信喬 (なかむら しんきょう)
1957年、福岡県無形文化財である二代目・中村衍涯(えんがい)氏の長男として福岡市に生まれる。79年、九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻(木彫)を卒業。80年、父の病気にともない家業を継ぐ。陶芸家・村田陶苑氏、重要無形文化財保持者の人形師・林駒夫氏、能面師・北澤一念氏に師事。天正遣欧少年使節団を主題とした人形づくりに取り組み、2011年には、ローマ法王に謁見し、人形を献上した。作品・受賞歴は多数。日本工芸会理事。今年(2017年)の山笠では、中洲流の飾り山(見送り)「本能寺の変」、天神一丁目の飾り山(表)「福徳七福神」を制作。HP:http://www.shinkyo-nakamura.jp/

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