2024年04月26日( 金 )

中内ダイエーなくして、福岡のここまでの発展はあったのか!(後)

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元ダイエー福岡3点事業専務取締役 大西 義威 氏

俺が変えていかなければ、社会は変わらない

 ――アジアの玄関口としての街をつくるとは壮大な計画ですね。新神戸オリエンタルシティ構想もそうですが、スーパーの売上を拡大するというよりも、街そのものをつくってしまうところが、単なる経営者でなく、事業家・革命家といわれる由縁でしょうか。

 大西 経営者という面とあるいはそれを上回って事業家・革命家であったことはたしかです。「俺が変えていかなければ社会は変わらない」「今の環境を変えながら、新しいものを提案していく」という気持ちを持っていたことは、近くにいて多々感じました。

 よくいわれることですが、「POS(販売時点情報管理)」導入後の運用方法について、ダイエーとイトーヨーカドーは大きく違いました。POSとは物品販売の売上実績を単品単位で集計することを言います。コンビニエンスストアの場合5,000種類以上のアイテムがあります。最大の利点は、商品名価格、数量、日時などの販売実績情報を収集するため、「いつ・どの商品が。どんな価格で・いくつ売れたか」を経営者側が把握しやすく、売れ行き動向を観察できることです。

 同じPOSの結果を見て、ダイエーは「どんな商品が売れているか」に注力するのに対し、イトーヨーカドーは「どんな製品が売れていないのか」に注力しました。経営的にも、消費者にとっても、どちらが最善であるかは意見が分かれるところです。しかし、その後のアクションは大きく違いました。ダイエーは売れ筋商品の一刻でも早い納品に走り、イトーヨーカドーは売れない商品のカットを行ったのです。売れ筋を追いかける方がより体力も、資金力も必要なことはたしかでした。あえて、困難な道を選び、大きな利益に挑戦するというのは、事業家・革命家の発想に近いような気がします。

地震2時間以内に、東京本社に対策本部を設置

 もう1つ私が中内を事業家・革命家と感じた思い出は「阪神・淡路大震災」の素早い対応です。阪神・淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分に起きました。その日は午前8時から定例の取締役会の日でした。開始すると、すぐに「神戸を巨大な地震が襲い、大変なことになっている。神戸はダイエーの発祥の地である。流通業のダイエーとして、物資を供給、全力で立て直さねばならない。暴動が起こらないようにしなければならない」と檄を飛ばしました。94年に起きたロサンゼルス地震では暴動が起きていたからです。
 午前7時30分には、当時の役員を現地対策本部長に任命、対策本部を東京本社に設置していました。その後も、自衛隊の力など、あらゆる力を総動員、船もチャーターして、損得抜きで(当時のダイエーの被害総額は約500億円に上りました)被災地に物資を運びました。

足りない部分を補おうとしていたのではないか

 ――中内功氏の人柄に関しては「初めに仕組みありき」(論理的でシステムを大事にする)といわれることが多い一方で、「初めに人間ありき」という面も見られます。大西さんは、どのように感じておられましたか。

 大西 先に申し上げましたように巨象ですから(笑)、見る方向によって、異なった解説が出るのは仕方がないでしょう。中内は『ネアカのびのびへこたれず』を座右の銘にしていました。「夢や希望を持ち、明るく元気にどこでも物怖じすることなく、誰とでもしっかり言葉を交わし、逆境でもたくましく生き抜く力が大切である」という意味です。
 私は、中内は自分がすごく感情的な人間であることを承知していたので、それに流されないさまに、足りない部分すなわちシステマチックな部分、論理的な部分をあえて強調していたのだと感じています。

世の中に残した功績については忘れないで欲しい

 ――今福岡の経済界で事業家・革命家としての中内功氏をもう一度見直そうとする動きがあります。また、少し話は変わりますが、ネットや書籍上では、「ダイエーは金融不安を引き起こす状況ではなかった。再生機構が介入する理由はまったくなく、ダイエーに任せておけばよかった」という経済学者などの記述も散見されます。この点に関して大西さんはどのように考えておられますか。

 大西 私は当時ダイエー単体の経営計画部長、ダイエーグループの経営計画部長として、
財務の数字をつぶさに見ていました。その点からいえば、ダイエーは業績が悪くなって潰れたと一般的に言われていますが、それは違います。日本の銀行の金融システムを守るために、「巨額負債のある30社リスト」の筆頭として、時系列にいえば、経済産業省の所管から大蔵省の所管に変わり、同時に(株)再生機構に組み込まれ潰れました。私はそのことに関してここで言及するつもりはありません。

 日本社会では栄光の後に転落した人については「全否定」して抹殺してしまう傾向があります。しかし、中内の経営者、そして事業家・革命家としての評価は是々非々で行うのが正しい姿です。現在の『福岡ソフトバンクホークス』、『ヒルトン福岡シーホーク』、『福岡ヤフオクドーム』は、中内が球団の本拠地を福岡に決め、アジアの玄関口としての街をつくろうとしたからこそ、今があります。福岡県民の皆さまはもちろん、読者の皆さまも中内が世の中に残した大きな功績について忘れないでいただければ嬉しく思います。

(了)
【聞き手・文:金木 亮憲】

 
(前)

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