2024年04月27日( 土 )

台風・地震を国民に知らせない気象管制とは!

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 5月13日(日)「母の日」に東京・狛江市民センターにおいて、「第33回狛江母親大会」(主催:同実行委員会)が開催され、気象学者の増田善信博士が「戦争と天気予報‐伝えたい平和への思い」と題する記念講演を行った。会場には狛江市民を中心に、各地から約100人の市民、気象関係者が参集した。
 講演の最後に増田氏は会場に「戦争で最も悪用・乱用された言葉は?」という問いを投げかけた。そして、気象学者として、その答え「神風が吹く」ほどでたらめな言葉はないと喝破し、戦争・特攻などを決して美化してはならないと警鐘を鳴らした。

1941年12月8日朝8時から「気象管制」を敷く

増田 善信 博士

 増田善信博士は狛江市在住で御年94歳の気象学者である。気象研究所に長年勤務、1984年に気象研究所予報研究部第一研究室長を最後に退職した。その後も、「非核の政府を求める会」常任世話人、「酸性雨調査研究会」代表幹事などを務め、著書も出版、現役活躍中である。

 話は増田氏が気象庁(宮津気象観測所)に勤務していた、太平洋戦争が勃発した1941年12月8日まで遡って始まった。日本は同日朝8時に「気象管制」を敷き、終戦までの3年8カ月間、それが解かれることはなかった。新聞やラジオから天気予報が一切消えた。気象管制が敷かれると、気象無線が暗号化され、一般国民には知らされなくなる。当時、宮津気象観測所では、「風向き」は三角の旗、「天気」は四角の旗、「暴風警報」は吹き流しなどと、高いポールに掲げて遠くからでも天気予報がわかるようになっていたが、それもこの日を最後にできなくなった。台風や大雨の情報など異常気象の時は本当に困ったという。漁師などにとっては、天気予報は死活問題だが、それを知っているにもかかわらず伝えることができなかったからだ。

戦争の時の「気象管制」とは無慈悲なものである

 では今日、まるで空気と同じように、私たちが享受している「天気予報」が目の前から消えるとは、どのようなことを意味するのであろうか。増田氏は実例3例を挙げ、一般国民におよぼすその影響の「大きさ」「凄さ」「無慈悲さ」を説明した。

 最初の例は、1942年8月27~28日の「周防灘台風」である。この時は暴風警報が1回だけ発表されているが、時すでに遅く、豪雨と高潮のため、西日本一帯で死者891名、家屋全壊33万3,000戸におよぶ大被害が発生した。山陽本線は10日間不通を余儀なくされた。しかし、被害状況は一般国民に一切知らされなかった。

 2例目は、1944年12月7日の「東南海大地震」である。紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20 kmから浜名湖沖まで破壊が進行した。M7.9のプレート境界型巨大地震である。地震による死者は1,000人を超えたといわれる。当時の尾鷲町には、5mを超える津波がきて、100tの船が150mも打ち上げられた。最大の被害は半田市の中島飛行機の工場で、学徒動員の96人を含む153人が亡くなった。日本では戦後も秘密扱いになっていたが、米国立公文書館には、B29がレーダーで撮影した地震直後の航空写真が残っている。

 3例目は、1945年1月13日「三河地震」である。愛知県の三河湾で発生したM6.8の直下型地震で、死者は2,306人に達した。当時この地域には疎開児童がたくさんおり、学童の多くが亡くなったが、秘密保持のため、その子どもの母親たちには一切知らされなかった。これは戦争の時の気象管制が「いかに無慈悲なことか!」の象徴であると増田氏は語った。

憲法9条破壊を阻止して「天気予報」を守りたい

 3つの例を挙げたうえで、増田氏は「気象管制」は遠い過去の話ではないと続けた。現在も戦争をやっている地域では気象管制が敷かれている。例として、1999年2月25日のイラクだけが空白となっている天気図のスライドを披露した。湾岸戦争(1990~91年)からイラク戦争(2003年)へ向かう途次ではあるが、多国籍軍の空爆に備えて「イラクが気象管制を敷いたのではないか」と推測されると説明した。

 最後に増田氏は、天気予報は「平和のシンボル」であり、日常に欠かせないものであるが、いったん戦争が始まると、それは戦争に欠かせないものになることを強調した。政府は平時から「秘密保護法」(※)などで着々と「気象管制」を敷くことができる準備を進めており、その集大成が憲法9条破壊の改憲である。そのため、憲法9条を守ることが、国民にとっての天気予報を守ることにつながると結んだ。

【金木 亮憲】

※秘密保護法:漏えいすると国の安全保障に著しい支障を与えるとされる情報を「特定秘密」に指定し、それを取り扱う人を調査・管理し、それを外部に知らせたり、外部から知ろうとしたりする人などを処罰することによって、「特定秘密」を守ろうとするもの。強行採決で、2013年12月6日、第185回国会で成立、14年12月10日に施行された。

<プロフィール>
増田 善信(ますだ・よしのぶ) 
1923年京都府生まれ。1949年中央気象台付属気象技術官養成所(現・気象大学校)研究科卒業。1949~59年気象研究所に勤務。1959~78年気象庁予報部電子計算室予報官。1959年日本気象学会賞。1961年理学博士(東京大学)。1977~84年日本学術会議会員(地球物理学)。1978~84年気象研究所予報研究部第1研究室長。1984年退職。現在、「非核の政府を求める会」常任世話人、「酸性雨調査研究会」代表幹事などを務める。著書として『異常気象学入門』など多数。

 

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