2024年04月26日( 金 )

時代の流れに乗れず、受注激減で事業停止(前)

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協和製版(株)

 一時は約17億円の売上高規模を誇り、製版業者として相応の知名度を有していた協和製版(株)。デジタル化および印刷業界の内製化が進むなか、有効な打開策を見出せず17年3月期には約1億円まで売上高が減少。破産手続き申請の準備に入った。

業歴60年を越える老舗

 高い技術力、長年の実績をもつ同社は、5月31日に事業を停止し、事後処理を弁護士に一任、破産手続き申請の準備に入った。負債総額は約1億7,000万円が見込まれる。
 同社は、現代表の実父が1957年6月に製版業を目的として福岡市中央区警固で創業、翌58年3月に法人化したのが始まり。60年を越える業歴を誇り、地場老舗製版業者として相応の知名度を有していた。現代表の幹夫氏は同社へ入社後、78年10月に先代の死去にともない、代表取締役に就任した。一時は従業員数180名近くを擁し、福岡市を中心に北九州にも営業所を配するなど、広域な範囲で受注活動を展開していた。高い技術力と地場有数の老舗という知名度を武器に営業基盤を確立。順調に業績を伸ばして94年3月期には約16億9,000万円の売上高を計上していた。

デジタル化と内製化が直撃

 しかし、印刷業界はデジタル化の波に晒されており、写植業界は淘汰され、93年ごろから製版工程のデジタル化が急速に進展。97年からのインターネットの本格的な普及を契機に一気にデジタル化が進んでいった。
 それまでの印刷業界には、工程ごとに専門職種があり、それぞれに独立した会社が存在していた。各業者が、自社の扱う機器の強みを生かし、得意分野を確立し、顧客のニーズによって自社で難しければほかの業者を紹介するなど、いわば協力会的な一面があった。
 デジタル化により影響を受けることとなった工程は、「写植」「版下」「製版」という中間工程である。
 「写植」とは、文字を打ち込む作業。文字にはカタカナ、英語、漢字に、明朝体・ゴシック体といった書体など、無数の文字盤を自在に組み合わせて打ち込む。今のようにノートパソコンで手軽に打ち込むようなわけにはいかない。文字盤にある何万字もの配置を覚え、瞬時に必要な文字を選び1文字ずつ打ち込む作業となる。
 「版下」とは、デザイナーが画いた大まかな図案を基に、正確な寸法で直線や曲線を書きなぞり、写植業者が打ち込んだ写植を細かく切り貼りして清書をすること。
 「製版」とは、印刷をするための版、いわゆる金型をつくること。版下業者がつくった清書された図版とデザイナーが細かく色指定した指図書を基に、まずは、版下を撮影してフィルム化し、その後、マスキングという手法で現像フィルムを合成する。色の違いによって4枚のフィルムが必要となり、それぞれが同じ寸法で、しかも色と色の境目がきっちり揃わないとならない。とくに色にこだわる顧客のニーズの高まりにこたえていくことが製版業者としての最大の技術力の見せどころであった。
 大手印刷業者は、日進月歩で技術が進歩するなか、積極的に設備投資を行い、内製化を進めていった。分業体制で行っていた工程を一貫して自社でできるようになったことから、製版業者などそれぞれが得意分野としてきた機械の優位性がなくなったのである。OA機器の高度化、デジタル化によって、ネット印刷やオンデマンド印刷、インクジェット複合機など版を必要とせず、安価なコストでの製作が可能となった。
 そのようななか、98年には、同社の株主でもあり、代表の実弟が経営する(有)アデックスキャナーが7月31日、8月20日と不渡りを出し倒産。実質的に同社の関連会社と見る業界関係者もおり、痛手となった。翌99年3月期には、前年期比約2億円減収の11億1,946万円となり、計上損益段階で4,600万円の大幅な赤字となった。

(つづく)
【内山 義之】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:末松 幹生
所在地:福岡市博多区神屋町4-5
設 立:1958年3月
資本金:2,200万円
売上高:(17/3)約1億円

(後)

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