2024年04月23日( 火 )

【斎藤貴男氏寄稿】「人でなし」のイデオロギー・新自由主義 蘇る、社会ダーウィニズムの悪夢(5)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

ジャーナリスト 斎藤 貴男 氏

経済同友会が定義する「自衛」とは

 この種の人物が、現代の日本には跳梁跋扈し、とめどない増殖を続けている。彼らの多くはいわゆる指導者層に属して、自ら都合の良い“政策”を打ち出しては、強引に推し進めてきた。

 戦争云々も単なるレトリックではない。アベ政権や、これに連なる財界が構想している国家ビジョンは、アメリカ同様の帝国主義国家に他ならないのである。

 憲法改正に対するアベ政権の姿勢については、すでに広く知られているので割愛。アベ氏個人の、岸信介元首相譲りの「大日本帝国」の“夢よもう一度”とか、アメリカの派遣戦略の一翼を担うことによる自民党政治の生き残り戦略とか、さまざまな解釈がなされており、いずれも当を得た見方だと感心している。私はこれらに加えて、グローバル経済における日本企業の成長戦略にとって軍事力が必要、という発想があることを指摘しておきたい。

 このテーマを論じ始めれば、それだけで軽く1冊の本が書ける。実際に書いてもきたが(拙著『戦争のできる国へ 安倍政権の正体』朝日新書、2013年など)、本稿では自民党政治のスポンサーでもある有力財界人たちの考え方を最も端的に伝えている経済同友会の提言「『実行可能』な安全保障の再構築」をテキストにまとめよう。13年4月に公表された、当時はまだ認められていなかった集団的自衛権行使の容認を求める主張だった。

 同友会はこの提言で、まず<国民経済の基盤を世界各国との通商に求める日本にとって、自らの繁栄の基盤である地域の平和と安定を、各国との協調と平和的努力を通じて実現することが最も重要である>とする。しかし近年の国際情勢の変化にともない、その目標を追求するためには、<最悪の事態をも含むさまざまなリスクを想定し、必要な備えを行うことの必要性が高まっている>という。ここまでは、いい。だが、その先は―。

 <その際、問題になるのは、我が国では、憲法や「専守防衛」など独自の安全保障概念による制約もあり、国際情勢や世界における日本の立場の変化を反映した、現実に即した安全保障論議が行われてこなかったという点である>。提言はそう書いて、<日本の国益に対する責任><その基盤となる世界・地域の平和と繁栄に対する責任><米国の同盟国としての責任>を果たすためには<我が国の安全保障体制の刷新に今すぐ取り組むことが不可欠である>として、「自衛」とは何を意味するのかを<明確に定義すべきである>と続けた。

 なるほど「自衛」の定義は重大だと、私自身もかねて考えていた。一般の議論では、(1)自衛の範囲は日本の領土や国民の生命、財産、といったところだろう。しかし私は過去10数年来、自民党の政治家や財界人たちとの取材を重ねるにつれ。彼らはより広い範囲を自衛の対象と捉えていることに気がついていた。そこには(2)日本企業や国民が海外に保有している資産や権益、商圏などが含まれている。

 はたして経済同友会の提言は、「自衛」の定義として、脚注のかたちで3通りの考え方を列挙していた。私が漠然と感じていた(1)と(2)は、それぞれ「狭義の国益」「広義の国益」だと説明された。驚かされたのは、ここでいう「広義」を上回る“超広義”の、(3)なる定義案が明示されていることだった。

 <日本の繁栄と安定の基盤を為す地域と国際社会の秩序(民主主義、人権の尊重、法治、自由主義、ルールに則った自由貿易)>。

 これはアメリカの安全保障観と軌を一にするものではなかろうか。日本が仮に(3)を採用した場合、アメリカン・スタンダードに外れた国家や地域、集団は、すべて私たちにとっての“脅威”と位置付けられて、仮想敵さらには攻撃対象と見なされかねない。やがて国会で集団的自衛権の行使を容認する“安全保障法制”(政府は「平和安全法制」と称し、反対派は「戦争法制」と呼ぶ)が強行採決で可決・成立していく過程で、その効力が“地球の裏側”にもおよぶかどうかとする議論があったが、この(3)に拠る限り、地理的な制約などあり得ないことになる。恣意的な判断、あらゆる介入が、いくらでも可能になるシナリオだ。

 経済同友会の提言は、(1)~(3)のいずれを採るべきかの結論を公にはしなかった。だが、3つの案が示されるまでの論旨は、明らかに(3)の方向を向いていた。

 少子高齢化で内需の縮小が避けられない将来に向けて、アベ政権は外需の拡大を目的に新興成長国の国づくりを国を挙げて請け負う「インフラシステム輸出」の国策を、“アベノミクス”における成長戦略の重要な柱に据えている。民主党政権時代の「パッケージ型インフラ海外展開」の国策に加えて「資源権益の確保」と「在外邦人の安全」の要素を絡めた国家戦略とされるが、「資源の呪い」という言葉もあるように、地下資源には紛争が付き物だ。開発に当たる多国籍資本やこれと通じる開発独裁の政府と、蹂躙される地域住民の対立が泥沼化しているケースは枚挙に暇がない。

 経済同友会が、専守防衛の思想は<日本の国益に対する責任>や<米国の同盟国としての責任>を果たすのにマイナスだと強調するときに意識されているものは何か。グローバル・ビジネスのリスクを軍事力によって解決する姿勢と能力を、彼らは求めているように感じられてならない。アメリカのみならず、英国やフランスなど第二次世界大戦の戦勝国群と同質の国のかたちを、すなわち帝国主義を、現代日本の指導者層は理想としているのではないか――。

(つづく)

(4)
(6)

関連記事