2024年05月09日( 木 )

宮川選手パワハラ騒動の本質(前)

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青沼隆郎の法律講座 第5回

結論

 「被害者本人が否定する暴力」という概念は「外形的暴力」であって、普通に日常用語として使用されている、それ自体否定的意味をもつ「暴力」ではない。

 刑法理論でいうところの構成要件該当性の第一段階の判断基準である「外形的」該当性にすぎない。実際に刑法的非難(それは当然倫理的非難を包含する。)である、可罰的違法性の判断は、具体的な違法性判断が必要である(違法性判断―第二段階。さらに責任判断―第三段階。)以上の段階的判断の後に、非難可能性のある、可罰的違法行為として暴力が認定される。

 この第二段階の有名な例が被害者の承諾である。これも宮川紗江選手をめぐるパワハラ騒動の場合、宮川選手の声明が事後的(に見える)なため、事後の承諾と理解されがちだが、コーチとの長年の関係により、ある程度の外形的暴力は、当事者間では、事前の承諾ありと解釈される余地がある。

 なお、被害者の承諾にも限界があり、やくざの「指つめ」に加担する外科医の手術行為は違法性を阻却しない。当然ながら、「程度」(社会的相当性)の問題がある。

体操協会の論理は循環論法(トートロギー)

 普通にいえば、最初から処分の口実とするため、暴力の認定が存在した。第二段階や第三段階の判断は、当事者の精密な事情聴取なしでは不可能だからである。

 体操協会の論理は、「暴力は本人の承諾があっても許されない」という論理であるが、そもそも「本人の承諾がある暴力」という概念そのものが、論理的に存在しない。

 体操協会のいう「暴力」はすでに外形的該当性を超え、違法性、責任性の判断まで終了した「暴力」であるから「許されない」といえるのであって、単なる外形的該当性だけの段階では「許される・許されない」の判断は不可能である。このような「すでに結論を先取りした前提を用いる論法」は循環論法としてその論理的正当性が否定される(体操協会のいう「暴力」はすでに可罰的違法性のある「暴力」を内包含味している)。

碧海純一東大名誉教授の有名な説話(法哲学概論の例を本件事例に改変)
 遠景
  男性が女性の髪を引き回している。
 これが、いわゆる暴力行為の外形的該当性である。この段階で非難可能性を含む暴力行為と認定することはできない(本件では投書による通報が端緒とされる。ほぼ「遠景」に等しい)。

 近景1 男性が「だめじゃないか」と非難の声を発し、女性が「ごめんなさい」と謝罪の声を発しているのが聞こえた(本件では関係者の聴取により、暴力行為を認定したとされる。近景1に近い)。

 この段階で、男性が懲罰のため、女性に暴力を加えているように見えるが、そう判断することは早計である。男性が髪の毛を引き回した行為が、女性の危険防止の為の行為であり、手段に相当性がある可能性が否定されていないからである。つまり、女性は身投げの直前であり、それを背後から制止するには髪の毛を引いて制止するほかなかった場合かもしれない。

 そもそも、女性が男性に背後から髪の毛の調整を依頼していたにも関わらず、女性が勝手に身動きしてそれを困難にしたため、男性が髪の毛の調整のために髪を強く引いたのかもしれない(このような事情は、当事者からの精密な事情聴取以外には認定不可能である)。

近景2 その後、2人は肩を抱き合い、その場を去った。

 このような事態の展開があった場合、男性が女性に暴力行為を行ったと非難できるか(宮川選手とコーチとの関係がこのような事情にあることは明白である)。

 碧海教授は人の行為はその周辺事情によって、如何様にも法的判断が変化する。あらゆる入手可能な事情の検討がなされる必要がある、と説く。

佐々木亮弁護士の勇み足

 ネットに公開された佐々木亮弁護士の見解は弁護士でありながら、根本的な論理性の問題を看過した、という意味で、体操協会の見解を後押しするものとなっている。

 しかし、さすがに、体操協会が、当事者に十分な事情聴取や弁解・反論の機会を与えていないという致命的瑕疵については言及している。

 宮川選手をめぐるパワハラ騒動の本質は「体操協会が、コーチを処分するために暴力を認定した」という、川島武宜博士の指摘する法論理の演繹的構成(具体的事実から法的判断を演繹する)ではなく、先に、法的判断かの如き体裁の結論があって、その結論に合うように事実認定をすること(法論理の帰納的構成)にあるのであって、弁護士であれば、とくに、そのような法的構成については批判的であるべきところ、残念ながら、佐々木弁護士はそれを失念している。

(つづく)
【青沼 隆郎】

(参考)川島武宜「判例と判決例」「科学としての法律学」とその発展(126頁)

<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)

福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。
 

(中)

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