2024年04月25日( 木 )

「白馬会議2018」が11月17日・18日に開催!(前)

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「白馬会議」運営委員会事務局代表 市川 周 氏

 リーマン・ショックの年に「西のダボス(※)、東の白馬」という遠大な志のもとに始まった「白馬会議」が11月17日(土)・18日(日)の2日間、長野県白馬村「シェラリゾート白馬」で開催される。第11回を迎えた今年の統一テーマは「大丈夫か?日本のイノベーション!‐4つの壁(組織・財政・技術・防衛)突破の新機軸を問う‐」である。白馬会議は、学会でも、財界セミナーでも、評論家やジャーナリストたちの集まりのいずれでもない。1人ひとりの知的な個人がそれぞれの生きざま、歩んできた背景や問題意識をもって、国内外から集まり、白馬の大自然のなかで心ゆくまで議論するものだ。
11月の開催準備に忙殺されている中、運営委員会事務局代表・(特非)一橋総合研究所統括責任者(CEO)の市川周氏に、今年の抱負を聞いた。

何か、新しい「知」が渇望されている感じがした

 ――今年のテーマに入る前に、「白馬会議」について教えてください。まず、どのような経緯で設立されたものなのでしょうか。

▲「白馬会議」運営委員会事務局
 市川 周 代表

 市川周氏(以下、市川) 第1回の「白馬会議」は2008年11月15日・16日に開催されました。その経緯は大きく分けて2つあります。

 1つは、2008年9月15日にアメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生しました。いわゆる「リーマン・ショック」です。
リーマン・ショックを境に世界的に経済が冷え込み、消費が落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落が進み、アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がりました。当然、日本経済にも大幅な景気後退が起こりました。

 この一連の現象には、何となく時代の転換点、世界史の曲がり角にきている、“におい”がしました。そこには、今までまったくなかった、何か新しい「知」が渇望されている感じがしたのです。そして、私が「白馬会議を設立しよう」と言い出すとまわりの多くの方が賛同してくれました。

知的な人間を動員する仕組みはできないだろうか

 2つ目は、私が(社)世界経済研究協会(※)の専務理事(雑誌『世界経済評論』の発行人)をしていたことと関係があります。私は同協会の専務理事に2006年に就任しました。

 同協会は1953年発刊で日本の代表的な知的アセットの1つである雑誌『世界経済評論』をもつ、1963年設立の歴史ある協会です。しかし、私が専務理事に就任した時は、日本経済はバブルが崩壊、日本の財界、企業がこの種の活動をサポートするのが一番苦しい時だったのです。

 私は何か新機軸を出さなければならないと感じていました。アイデアとしては、ウェブ世界へ進出するとか、いくつかありました。しかし、私は雑誌『世界経済評論』を舞台に、知的な人間を動員する仕組みはできないだろうか、と考えました。そこでまず、東京で年6回開催する「世界経済フォーラム」を企画しました。この成果は隔月で発行する『世界経済評論』紙上で発信しました。そして、フォーラムのその年の集大成のような位置づけで「白馬会議」を企画したのです。つまり、雑誌『世界経済評論』、「世界経済フォーラム」「白馬会議」と“知のトライアングル”を完成させたわけです。

知的空間を創造して、知的発信基盤を構築する

 ――白馬会議を語る際には「西のダボス、東の白馬」いう文言がよく出てきます。

 市川 スイスのアルプスの麓の小さな村で行われるダボス会議は、知的ステータスとして、日本の政・財界人、文化人、ジャーナリストたちの憧れの的になっています。しかし、高額な参加費用や、言葉の問題など、いくつか理由があり、一部の政治家を除いて、日本の財界人も文化人もジャーナリストもほとんどダボスには行っていません。もし、そうならば、北アルプスの麓の白馬村に、知的な個人が集合して、もちろん外国人も歓迎ですが、ダボスに負けない知力で「世界における日本の針路を熱く議論しようではないか」と考えました。

 ダボスと似たような自然環境の白馬に新たな「知的空間」を創造し、日本からの「知的発信基盤」を構築する、という意味において、ダボスになぞらえています。

(つづく)
【金木 亮憲】

【ダボス会議】
スイスのジュネーブに本部を置く世界経済フォーラム(WEF)が毎年1月にスイスのリゾート地、ダボスで開催する年次総会の通称。国際的な非営利団体であり、政財界をはじめとする各界のリーダーたちの連携を通して、世界の経済・社会の現状の改善に向けて取り組むことを目的としている。

【(社)世界経済研究協会】
「産官学一体となって世界経済の中の針路を考える」を活動理念に1963年に創設。「産」では日本経済をリードする有力企業を法人会員として擁し、「官」では5省庁(外務・財務・経産・農水・内閣)の共管を受け、「学」では日本国際経済学会、国際ビジネス研究学会と姉妹関係にあった。同研究会は2015年に解散で幕を閉じ、雑誌『世界経済評論』は(一財)国際貿易投資研究所に引き継がれ、「白馬会議」は独立、運営母体は「白馬会議運営委員会」となった。

<プロフィール>
市川 周(いちかわ・しゅう)

1951年長野県生まれ。1975年一橋大学経済学部卒業。同年三井物産入社。香港三井物産、米国三井物産(この間、ペンシルバニア大学ウォートンスクールマネジメントプログラムコースを履修)を経て、1990年三井物産貿易経済研究所(現・三井物産戦略研究所)創設に参画。91年同研究所主任研究員、96年同研究所コンサルティング事業室長。97年に三井物産を退職、人材開発コンサルティング会社「市川アソシエイツ」を設立。98年石原慎太郎氏と(特非)一橋総合研究所を設立。2006年(社)世界経済研究協会専務理事、08年11月「白馬会議」を創設。著書として、石原慎太郎氏との共著『「NO(ノー)」と言える日本経済』(光文社)、『外される日本』(NHKブックス)、『選択する日本経済』(共著 東京経済情報出版)、『ライオンリーダーになる19の鉄則』(中経出版)、『中国に勝つ』(PHP研究所)など多数。

(後)

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