2024年05月06日( 月 )

人類の未来と日本(5)

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 30年前ヨーロッパに住んでいた時、高知からきた刃物職人たちの一行をフランス中部の山岳地帯の村に案内したことがある。刃物で有名な村だ。

 その村にたどりついた土佐の男たちは真っ先に現地の刃物職人たちの仕事場を訪ね、熱心に見学した。門外漢の私はぼんやり工程を眺め、昼食の後、工場長が見せるスライド写真の数々を、これも漫然と眺めていた。

 一枚の写真が目をひいた。数十年前の写真だとことわった後で、工場長は「これは職人が川べりで腹ばいになって、ナイフの先を研いでいるところです」と説明した。すると、高知の職人の1人がいきなり立ち上がり、こう尋ねた。「で、これはもうしていないんですか?」

 「もうしていません、今はすべて機械がしている」というのが答えだった。質問者はがっかりしたようだった。

 見学が終わってホテルに戻るとき、私はその質問者に「日本ではどうなのか」と訊いてみた。すると、「日本?土佐では、全部を機械にまかせるなんてことはしない。最後のところは、やっぱり手でやらないとね」という答えが返ってきた。

 私は即座に「これだ!」と思った。今にして思えば、土佐の職人たちは新石器時代の考え方に忠実であり続けていたのだ。

 日本だって機械化はすすんでいる。能率は重んじている。しかし、最後のところで踏みとどまって、過去を失わないようにしている。「最後のところは、やっぱり手でやらないと」という言葉にそれが表れている。未来を拓く考え方とは、こういうものではないだろうか。

(つづく)
【大嶋 仁】

<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)

1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 1975年東京大学文学部倫理学科卒業 1980年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇にたった後、1995年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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