2024年05月02日( 木 )

【北海道胆振東部地震】被災地を国税局がウロウロする無神経~被災者「ほったらかし」に住民から不満の声

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 9月6日午前3時ごろに発生した最大震度7の大きな揺れで、北海道の胆振地方を中心に大きな被害を出した北海道胆振東部地震。約1カ月半が経った10月中旬、取材班は現地誌『北方ジャーナル』の招きで北海道札幌市を訪れ、震度5強の強い揺れによって道路が液状化し大規模な道路陥没が起きた同市清田区里塚で現地取材を行った。陥没場所では複数の重機が復旧作業にうなりを上げ、それを遠巻きに眺める住民が数人、所在なさげに立っていた。

被災地を歩く、背広姿の4人組

閑静な住宅街だった、里塚地区

 住宅街の大きな道路に面した地域には、よく見なければ傾きに気づかないような家があるかと思えば、陥没地帯の淵に建てられた家は屋根をほぼ横に傾けながらも、なんとか滑り落ちそうになるのをこらえている。陥没地帯に近づくにつれ、外壁がはがれ、塀の倒れた住宅が増える。直前まで人が住んでいたような生活の「におい」はあるが、家屋には赤い札(危険)や緑の札(調査済/危険性が少ない)が貼られており、いまは人の住んでいる気配がない。

 地域に住むという女性2人に話を聞くことができた。

 「ドーンと突き上げるような揺れで飛び起きました。すぐに隣の子ども部屋に行こうとしましたが、立ち上がることすらできないような大きな揺れでした」(地域に住む30代の女性)

 その女性は、地震を経験していない者からすれば意外なものに恐怖を感じたという。「一番怖かったのは『音』でした。ドーンドーンという大きな音がどこから聞こえているのかわからずに怖くてたまらなくて。動けないでいるとしばらくして、家がきしんでいる音だと気づきました」(同)

 里塚地区は沢を盛土して造成された住宅地で、1970年代に開発が始まったという。現在は、歴史のあるベッドタウンとして、札幌市中心部に通うファミリー世代から人気を集めている。

 「最近になって地価も上がったので、喜んでいたところでした。でもいまは二束三文で売るしかないとあきらめています。このあたりで地震保険に入っていた人なんているのかな……」(別の女性)

被災地に場違いな、国税局のお役人たち

 話を聞いていると、液状化で陥没した道路のずっと上の方で車を降りて斜面を歩く背広姿の4人組が目に入った。全員が背広に不釣り合いなゴム長靴を履き、首からはIDカード状のものをぶら下げて、手にした地図のようなものを見ながらなにごとか話し合っている。

 そっと近づいて話しかけてみると、「国税局の者です」とひとこと言って視線をはずす4人組。なるほど。国税庁は2017年度の税制改正で、災害に関する資産税関連措置として「調整率」を設けている。相続税や贈与税の申告に便宜をはかるためで、災害による地価下落を反映した調整率を地域ごとに定めて災害発生直後の土地の値段を算定しているのだ。

 どうやら「もう二束三文でしか売れない」と嘆く住民の横でお役人が、「その通り、二束三文です」と太鼓判を押してまわっている場面に出くわしたようだ。お役所仕事の間の悪さにほとほとあきれはてる。

「被災地窃盗団」のデマを信じる住民たち

地盤液状化の影響で大きく傾いた家屋

 被災地で広まっているある「噂」も住民の不安をあおっている。

 「地震の直後から、被害を受けた家をねらった窃盗団が盗みを繰り返している」――その噂はいかにもありそうな細部を追加されながら、地震から1カ月半を過ぎた今でも住民の口から口へとリレーされ続けている。熊本地震では他県から窃盗目的で被災地に入った男らが逮捕されており、そうした事実も「窃盗団」話をよりリアルに肉付けしているようだった。

 しかし地元警察などによると、窃盗団によるものとされる被害報告などはない。窃盗団話の発端と見られているのは、住民の「勘違い」だ。「被災直後は混乱していたため、日夜問わずに避難所から洋服や日用品などを取りに戻る住人が大勢いました。停電が続いていたため、夜中にそれらの人影を見た人が誤解した可能性があります」(地元新聞社記者)。

 電源消失で余儀なくされた真っ暗闇の日々と、先行きに対する不安。行政の役割は、被災者の不安を可能な限り取り除くことのはずだが、住民の口から出るのは行政の「不作為」に対する不満だけだった。

 「役所は、地震の後に建物に札を貼ってまわっただけで、あとは何もしてくれない。札を貼られた家に住んでいいのかどうかも伝えられていないし、何があっても『自己責任』でほったらかしにされているように感じる」(女性2人が口をそろえて)

 10月の風はすでに冷たく、「早ければ11月ごろから雪が降り出す」(地域住民)という冬の気配を、少しだけ感じることができた。北海道の冬は長いという。被災地の地価を決めてまわる前にすべきことは、いくらでもあるはずなのだ。

【特別取材班】

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