2024年04月27日( 土 )

「貴乃花」の離婚、愚劣なマスコミから家族を守るための決断

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貴乃花相撲道は武士道

 元貴乃花親方(以下、貴乃花)の離婚報道がスポーツ紙の一面を飾った。貴乃花は、膨大な資産である一代年寄名跡を放棄してまで守った相撲道の正義を貫き、日本相撲協会の不正を糾弾する戦いにおける「後顧の憂い」を断ち切った。取材名目のあらゆるプライバシーの侵害から家族を守ったのだ。

 戦場に赴く武士の「この世との別れ」そのものである。古来、「世の中」とは、夫婦の仲を意味するもので、この世との別れとは妻や家族との別れを意味する。武士は命そのものを惜しまない。惜しまざるをえないのは夫婦の情愛、家族への思いである。

理不尽な事件のもみ消し

 貴ノ岩の損害賠償請求訴訟の取り下げには重大な不条理が存在する。各報道機関(とくにスポーツ新聞)は、取り下げの理由とした“モンゴルでの親族へのバッシング”についてまったく確認取材をしていない。そもそも、バッシングの発生時期と内容に重大な矛盾がある。

 モンゴルでは目上の人に対する尊敬の姿勢がとくに重視されるという。しかし、それは何もモンゴルに限らず、日本でも世界のどこにでもある普通の倫理道徳である。しかしながら、目上の人が罪を犯してもなお格下の人は敬意を払うべきというのなら、それはまともな倫理道徳ではない。

 日馬富士が暴行傷害を理由に引退したのは本年3月。バッシングはその時に発生しなければならず、訴訟取り下げの時期まで持続していたとすること自体が不条理だ。しかも訴訟提起とは無関係に発生したバッシングであるから訴訟取り下げを親族が要求したとの理由にも論理的整合性がない。

 さすがに、バッシングの長期持続の主張は成立せず、訴訟取り下げの理由にもならないため、追加の記事には、貴ノ岩の兄に対する「訴訟はお前がやらせているのだろう」とのバッシングに、耐え兼ねた兄が訴訟の取り下げを貴ノ岩に要請したという記事が報道された。

 こんな理不尽な報道が公然と行われるというのは日本の報道機関がいかに低劣かの証である。兄へのバッシングは、兄にとって身に覚えのないバッシングであることは本人が一番わかっていることであり、何で、弟に「訴訟を取り下げてくれ」という要請になるのだろうか。

 この記事が確認取材をまったくしない「デタラメ」記事であることは明白である。このような「悪質・低廉記者」の横行こそ、貴乃花の離婚の戦略的意味であると筆者は確信する。

【青沼 隆郎】

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