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2019年05月07日 12:14

平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(1)

「朝マラは今日の仕事のバロメーター」

 私が講談社に入って最初に配属された部署、月刊現代で、いきなり編集長に呼ばれて見せられたのが、この小見出しだった。
「いいだろう元木君!」
 何と答えていいか戸惑っている私に、編集長は得意満面、ほかの先輩編集者たちにも見せて回っていた。

 現代は、1966年(昭和41年)12月に週刊誌・週刊現代の兄弟誌として創刊された。週刊現代を、サラリーマンのための週刊誌と銘打ち、「イロ・カネ・出世」を柱に部数を伸ばした牧野武朗が発案し、初代編集長になった。
 当時は“国民雑誌”といわれていた文藝春秋が60万部と断トツで、創刊間もない現代は5~6万部というところをウロチョロしていたと記憶している。

 私が配属されたころの現代は、Iという編集長が「文藝春秋に追いつけ!」をスローガンに、文春と週刊現代の中間のどっちつかずの雑誌づくりをしていた。
 先の「朝マラは」は、同僚より出世するための10の方法というような特集の初っ端の小見出しだった。

 この連載は、平成という時代を、私が編集者としてどう過ごしてきたのかを書くつもりなのだが、私という人間を知ってもらうために、いくぶん遠回りをすることをお許しいただきたい。

 私は、1945年11月に、母親が疎開していた祖父の実家がある新潟で生まれた。父は戦前、高校を卒業してまだ小さかった読売新聞に入り、正力松太郎社主や後に社長になる務台光雄らと一緒にインクや油まみれになって働いたことが誇りだった。
 不思議なことに、五体満足なのに、なぜか赤紙が来なかったので、兵隊には行っていない。

 3歳で東京の中野に戻った。当時から高架にあった駅から、東京の焼け野原が一望できたことを覚えている。

 小学校に入学して受けた健康診断で、「肺浸潤」と診断される。結核の初期症状だろうが、当時の結核は“死病”であった。母親が祖父の前で、「この子が死んでしまう」と泣いていた姿が今でも目に浮かぶ。
 入学して1週間もしないうちに、自宅隔離となり、1年間、寝たり起きたりの日々を送る。本人は痛くも痒くもないのだから、外で遊ぶ近所の子どもたちがうらやましくて仕方がなかった。
 1年後に復学したが、以後6年間、体操の時間は見学しているだけだった。

 高校3年の秋、街には舟木一夫の『高校三年生』が流れていた。東京オリンピックの始まる直前、担任から「結核だ」と告げられた。大学受験に精を出すクラス仲間を横目で見ながら、オリンピック後の代々木選手村を泣きながら走り回った。

 同じころに吉永小百合と浜田光夫の主演映画『愛と死をみつめて』が公開された。
 吉永小百合は私と同じ昭和20年の早生まれである。この年に生まれた子どもは少ない。有名人は小百合とタモリぐらいではないか。
『キューポラのある街』以来、熱烈なサユリストだった私は、映画を見ながら、若くして軟骨肉腫で死んでいく小百合のミコに己が不運を重ねた。
 10回以上は観ただろう。そのころ出たての小型テープレコーダーを映画館にもち込み、密かに録音をして、テープが擦り切れるまで聴いた。

 19の秋は、月に1度、病院通いの後に行くパチンコだけが青春だった。
 20歳になる前の結核による2年の空白は、私のその後の人生を変えたといっていいだろう。
 引っ込み思案で、積極性など欠片もなかった私だったが、早稲田大学へ入学した日から、これからは刹那的に生きると決めた。

 当時は70年安保と学年紛争が吹き荒れていた。だが、思想的なものにはまったく興味がわかなかった。私の関心は酒と女だった。三度病気になる前に、浴びるほど酒を呑み、女と遊びたかった。
 だが、カネがない。そこで考え付いたのが、当時としてはまだ珍しかったバーテンダーという仕事であった。
 この仕事が講談社へ入るきっかけをつくり、編集者になってからの人脈づくりに大いに役立つのだから、人生はわからないものだ。

(文中敬称略=次回へ続く)

【プロフィール】
元木 昌彦(もとき・まさひこ)

ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。
現在は『インターネット報道協会』代表理事。元上智大学、明治学院大学、大正大学などで非常勤講師。
主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。
連載
J-CASTの元木昌彦の深読み週刊誌
プレジデント・オンライン
『エルネオス』メディアを考える旅
『マガジンX』元木昌彦の一刀両断
日刊サイゾー「元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』」

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