2024年04月26日( 金 )

年に一度のご先祖さまの里帰り~お盆にまつわるエトセトラ

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 「盆と正月がいっぺんに来たようだ」とは、嬉しいことなどが重なったときに使われる言葉だが、正月はともかくとして、お盆は何が嬉しいのだろうか?――と、子どものころに思ったことがある。

 盆も正月も、普段なかなか会えない祖父母や親戚などが一堂に会するところは似たようなものだが、お年玉がもらえたり、初詣に行ったり、おせちがあったりと、華やかなイメージが強い正月に比べると、仏間に盆提灯などを飾り付け、お坊さんを家に招いて仏壇の前で皆が手を合わせるようなお盆は、幼心にどうしても暗いイメージを抱いていたものだった。正月とは違い、直接的な人の“死”を感じさせる行事だということも大きかったのだろう。

 やがて時が経ち、筆者もそれなりに歳を重ねた。もう随分前に祖父母らを見送ったこともあって、今では盆に対する暗いイメージなどはすでになく、どちらかというと厳かな気持ちで迎えるようになっている。だが今年も盆が近づいてくるにつれ、幼いころに感じた気持ちを何となくふと思い出した。せっかくなのでこの機会に、盆について改めて考えてみたいと思う。

 夏季に行われる祖先の霊を迎えて祀る一連の仏教行事――というのが、そもそも盆についての一般的な認識ではないだろうか。人が亡くなり、通夜・葬式および四十九日法要を終えた後に最初に迎える盆を「初盆」と呼ぶのも、よく知られている。

 盆とは、仏教行事である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略称であるとされるが、実は仏教伝来とともに日本にこの盆の風習が伝わったわけではない。祖先の霊を迎えて祀る風習自体は仏教伝来の以前からあったとされ、「先祖祭り」や「精霊祭り」「みたま祭り」などと呼ばれていたそうだが、後に仏教行事の盂蘭盆会と習合。そして、今のようなお盆のかたちになったといわれている。

 お盆の期間については、全国的に多いのは8月15日前後の3~4日間だが、7月15日前後に行うところや、8月1日前後に行うところなどもあり、全国一律で定められているものではない。一連の行事は、盆初日の「迎え火」から始まり、最終日の「送り火」や「灯籠流し」で終わることが多く、その途中の期日でお墓参りや、お坊さんを招いての法要を執り行うというのが一般的だろう。

 「盆踊り」というのも、本来はその名の示す通り、踊りによって祖先の霊を供養するための儀式とされており、盆期間中に行われることが多い。なお、盆の行事の内容や風習については、各地域や各宗派、さらには各家庭によってもさまざまな様式の違いがあり、こちらも一律のものはない。なかには、花火や爆竹を鳴らすといった少々過激な風習のところもあるようだ。

 前述の「灯籠流し」も、長崎を中心とした九州の一部地域では、歌手・さだまさしの曲名として知られる「精霊流し」と呼ばれたりもする。ちなみに、前述の送り火として全国的に最も有名なのは、おそらく京都の「大文字焼き」であり、盆踊りとして最も有名なのは、徳島の「阿波踊り」だろう。

 期間中、主に仏壇の前では盆提灯を飾って絶やさず灯し続けるほか、故人や祖先の霊魂があの世とこの世を行き来するための乗り物として、キュウリやナスでつくられた「精霊馬(しょうりょううま)」などを飾るところも多い。盆の飾りつけの内容も、地域や宗派、各家庭によって異なり、こちらもさまざまな様式があるようだ。

 なお基本的には、お盆の際に帰ってくるのは故人や祖先の霊魂だが、そのときにいわゆる“無縁仏”や供養されない霊魂なども訪れるとされており、そうした“方々”のために仏壇の横や戸外に「餓鬼棚(がきだな)」を設け、そこにもお供え物をするような風習もある。余談だが、筆者の祖母や母もお盆には餓鬼棚を設けてお供え物をしており、祖先以外の霊魂も来ているという話を聞いて、幼いころは何となく怖さを覚えたものだった。

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 ここまで、取り留めもなくつらつらと書き連ねてみたが、こうして改めて考えてみると、お盆というのは故人や祖先を敬いしのぶ機会が得られるという、実に日本らしくて、良い風習なのではないだろうか。

 もちろん本来であれば、毎日は無理でも折に触れて仏壇に手を合わせ、故人や祖先に対する想いを常日頃から伝えておくのに越したことはない。だが、核家族化が進み、さらには単身世帯も増えている現在、仏間や仏壇がない家庭も多く、日々仏壇に手を合わせるという行為は難しくなってきている。だが、お盆であれば、実家への帰省とともに、故人や祖先へのお参りをする、またとない動機付けになるに違いない。

 今ではお盆は、正月やゴールデンウイークと並ぶ、長期休暇の代名詞的な位置づけになっており、その期間を利用して、旅行やレジャーを楽しむ方も多いだろう。そうした過ごし方ももちろん素敵なのだが、ときには故人や祖先をしのび、ゆっくりと過ごしてみるのもいいのではないだろうか。

【坂田 憲治】

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