2024年03月29日( 金 )

珠海からの中国リポート(8)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

暗唱教育

 中山大学は南中国一番の名門校。この大学に進学できず、日本の大学への留学を決めたM君はこう言った。「中国のエリートは暗記の天才です。僕みたいに暗記が不得意な人間は、到底上に上がれない。小学校に上がる前に『論語』を丸暗記させられたけど、中身がさっぱりわからないから、何1つ覚えていない」

 韓国からやってきたK先生はこれを「科挙制度の名残」と一刀両断し、科挙制度は国家権力に従順な官吏養成に最適だったと説明してくれる。しかし、上記のM君はそれでは納得しない。「暗記しても内容がわからなければ、従順ではなくて、無能な官吏しか育たないでしょ」とそっけないのである。暗記万能主義によほどの恨みがあるようだ。

 暗記主義というと、福沢諭吉を思い出す。『学問のすゝめ』に、戦国の武将今川義元の軍勢と、普仏戦争において敗戦したフランス軍の戦いぶりとの比較があった。諭吉がいうには、仏軍兵士は自国の君主が幽閉されても戦い続けたが、今川の軍勢は主君が殺されるや否や退散したという。そこに諭吉は、集団意識から抜け出せず、個の意識をもたない日本人の姿を見た。

 そういう諭吉は、江戸時代の古典暗唱主義に批判的だった。「読書百遍、意自ずから通ず」に真っ向から反対し、一回でもしっかり理解しながら読むことが大切で、そうでないと「知識」は力にならないと主張した。上記の中国人のM君、もしかすると現代中国の諭吉になりたいのかもしれない。

 M君の話はさらに続いた。「いまの中国の若者は何も信じていません。中国のメディアが本当のことを伝えていないことがわかっているので、何も信じられないんです。暗記ばかりして心のなかは空っぽ。外からの情報が信じられないというのなら、もうどこへも行けませんね」

 そこで私は聞いてみた。「日本の若者だって、何も信じていないようじゃないか。世界的にそういう傾向があるんじゃないのかな」

 M君は首を横に振った。「中国の若者は自分たちと外の世界の間には高い壁があって、乗り越えられないとわかってるんです。日本に、そういう壁はありますか?」

 私はとっさに答えかねた。が、10年以上前に福岡で出会ったある大学生のことを思い出した。その学生は、今にして思えば優れた感性の持ち主だったが、こんなことを言っていた。

 「日本には世界中の情報が入ってくるように思えるんですけど、そうした情報は一種のオブラートに包まれていて、本物じゃないなって感じるんです。じゃあ、本物はどこにあるのかと思って手を伸ばそうとしても、いつも目に見えない透明なビニールの膜にぶつかって、そこから先へ進めない。そこから先へ進んじゃったら、酸素もなくなって死んでしまうんじゃないかという恐怖もあるんです。そういうわけで、僕はいつも立ち止まってしまう」

 ひところ前だが、「空気を読む・読めない」という表現が流行した。「空気」とは場の雰囲気ということで、場の力、場の拘束力が絶対視される考え方である。ところが、場というものは、物理的にも、心理的にも、その場に存在する事物や人間によって形成されるもので、あらかじめ出来上がっているものではない。

 しかし、この理屈がわかっていない人が多いため、「空気」を持ち出してこれを支配の道具とする人々が出てくるのである。私が福岡で出会った大学生は、そうした周囲の支配力を敏感に察知して、そこからどうしても逃げられないと感じていたのかもしれない。

 中国の若者が暗唱主義に毒されて思考力を失っているとするなら、日本の若者は何に毒されて思考力を失っているのか。いや、実は思考力を豊富に蓄えているのかもしれないが、暗唱主義にかわる別の知識習得手段を身に着けていない以上、「空気」の力に従順になるしかないのか。

 韓国人のK先生にまた会った。先生は植民地時代の朝鮮文学の専門家。彼によると、戦中の日本文学が極度に暗かったのに対し、植民地朝鮮の文学は生命力に満ちていたという。

 これを聞いて直観的に思ったものだ。ひょっとすると、朝鮮半島はとてつもない生命エネルギーの磁場であって、それが中国東北部や日本列島に与えている影響は、思いのほかに大きいのではないかと。空気を読むとか読まないとか、そうした理屈が通用しない場こそ、場のエネルギーは高いにちがいない。日本人はもっとこの半島のことを知るべきで、アメリカや中国といった大国ばかりを見ていてはいけないのではないか、とふと思った。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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