2024年03月19日( 火 )

【凡学一生のやさしい法律学】憲法改正について(6)

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 憲法の条文上では、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」(第81条)とあるため、日本人なら誰でも、最高裁が文字通り、最高決定機関と素直に理解します(※)。しかし、実際に判断をするのは生身の人間である裁判官です。裁判官は当然、公務員であり、公務員は国民の負託に基づいて国権を行使していますから、最終的に国民の同意・承認が必要です。国会議員でいえば、国民による直接選挙です。裁判官にはこの仕組みが存在しません。

 実際に存在する仕組みが、内閣による下級裁判官(これも最高裁判所の指名に基づくことが要件とされている)の任命(第80条)及び最高裁裁判官の任命(同第79条)です。ただし最高裁の長たる裁判官は、内閣が任命すると形式的に3権分立に反するように見えるため任命は天皇の国事行為とされています。しかし、国事行為は内閣の助言と承認の下で行われなければならないため、実質的には内閣の任命です。つまり、日本国憲法はもともと3権分立ではありません。

 そして、最も下級審裁判官の身分を保障しない過酷な規定が、10年任期規定です。一般の公務員が平均22歳で就職して、定年の65歳まで40数年間の身分保障があるのに比べて、裁判官は10年でいったん失職します。もちろん再任規定があります。しかし、この10年短期雇用規定が、裁判官らが任命権者・内閣に絶対的に服従を迫られている根本の理由です。

 事実、歴史上有名な宮本判事補再任拒否事件もあります。このような裁判官の身分保障(第78条)に明らかに逆行する不条理な規定が厳然と憲法条文のなかに存在します(第80条1項)。

 以上のように憲法上の規定を説明すると、現実に日本で起こっている政治現象がよく理解できます。裁判官が常に政権よりの判断しかしないこと、下級審裁判官が最高裁の意向しか気にしていない「ヒラメ」と揶揄されていることなど、憲法が規定する制度が原因です。

 裁判官が明治以降、内閣によって任命される「官吏」である歴史は、まったく日本国憲法によっても何の変更がなかったことを国民は理解しなければなりません。

 現代民主主義国家の統治機構はすべて代議制です。最高裁が憲法判断の終審裁判所である、という表現・意味は、代議制上の規定ですから、代議制の基本である、国民主権による最終的な判断が存在しなければ、民主制ではなくなります。この主権者・国民による司法権の最終判断(最高裁の判断)を是正・抑制する制度が存在しないことが、日本国憲法が真の意味で民主憲法でない所以です。

 ついでにいえば、内閣も議員内閣制ですから、結局国民が、直接主権が行使できる制度は立法権についてしか存在せず、行政権(の長)は国会が指名し、司法権(の担当者)は内閣が任命するのですから、日本はまったく3権分立制度ではありません。学校の教科書では3権分立と説明され、それぞれの権力が「抑制と均衡にある」(チェックアンドバランス)と教えられますが、まったく「嘘」であることがわかります。念のため、おさらいします。

 (1)司法権による立法権に対する抑制制度  違憲立法審査権
 (2)立法権による行政権に対する抑制制度  国会の内閣総理大臣指名 内閣不信任決議
 (3)立法権による司法権・行政権に対する抑制制度  国政調査権
 (4)行政権による司法権に対する抑制制度  内閣による裁判官任命権

 以上は条文の規定ですから、実際の運用が問題となるのは当然です。

 (1)の運用は実際には「司法消極的主義」という学術用語が存在するように、内閣の気に入らない判決を出す裁判官は内閣の任命権によって事実上排除されていますから、違憲判決は極めて例外的にしか存在しません。

 (2)、(3)これは国会の多数勢力が国会の議決をほしいままにすることができる現実を考えれば、事実上、権力分立ではありませんから、意味のない「解説」となります。

 (4)これが事実上の最大の効果を発揮して、内閣絶対権力主義―行政権の圧倒的優越現象(実際は官僚の支配)―を完成させています。
 公訴権の行使は行政権の行使の一例ですが、その性質上、独立性の保障が不可欠です。 それは会計検査院の独立性が独立行政委員会として保障されている例でもみられます。

 つまり、検察官の独立です。しかし検察官の独立は憲法上には定められてはいません。経験的な政治的行政的知恵として当然と認識されているに過ぎません。それと似て非なるものが公訴権の独占です。これが百害あって一利もないことは前述しましたが、公訴権の前提国権である捜査権は警察その他の官吏にも付与されており、その結果、捜査権の濫用や不作為による不正は抑制されています。現今の社会生活は複雑で、捜査権のみならず、その後に続く公訴権について検察官に独占させる合理的根拠はまったくありません。検察官による起訴独占主義は前時代(明治憲法時代)の遺物といっても過言ではありません。

(つづく)

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