2024年04月18日( 木 )

【凡学一生の優しい法律学】憲法改正について(7)

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9条論・改正論について~隠蔽され続ける不都合な真実

 最近、近隣諸国から日本人の歴史認識の稚拙さが批判されます。その批判は当を得ていないというのが筆者の見解ですが、日本人の歴史認識が根本的に稚拙であることは、憲法9条議論においては確実にいえることです。これは「知らしむべからずよらしむべし」の封建為政の精神が依然として日本に深く根差している事実を反映しています。

 日本国憲法が成立した当時、地球的政治状況を見て、戦争のない軍事力を不要とする平和な地域が地球上に存在していたかをまず考えて見てください。日本自身が、戦争を終えたばかりで、近隣諸国ではすでに戦争状況がたくさんありました。

 このような状況で出現した日本国憲法の戦争放棄をはじめとする平和憲法条項の現実的意味は、日本国では、現実に必要な軍事力は連合国(実際は米国)が対応するということであり、駐留軍(米軍)の継続を意味しました。このような正しい歴史認識があれば、そもそも現在まで続く、不毛な9条議論は存在しなかったものです。憲法学者は必ず、直ちに9条の文意解釈論を展開するため、9条の憲法議論は極めて難解です。問題・意味が存在しないところに問題・意味を設定するのですから当然です。日本の法学生はこの一種の政治的陰謀・隠蔽にたちまち巻き込まれます。

 永遠に続く解釈論の1つが、9条条文は自衛権まで放棄したか、の議論です。戦争放棄、交戦権否定の条文がある限り、「自衛の戦争」という議論の設定そのものが論理矛盾です。

 しかし、現実の世界政治はパワーポリティックスといわれる軍事力対立の世界であり、まったくこれらの議論は無意味です。

 憲法に限らず、法の解釈は現実にふさわしい解釈をしなければ、法としての存在意義を失います。学者のただの机上の空論となります。世界の政治状況を無視した9条の解釈論がいかに無意味かをまず理解すべきです。これは極めて当たり前の議論ですが、立法の解釈論として「立法者意思説」とか「立法事実論」があります。これは立法者がどのような事実を前提ないし想定して立法したかの議論です。

 9条に関していえば、立法者は米国軍人のマッカーサーであり、前提事実は現実には東西冷戦対立のパワーバランスの国際政治状況です。結局、9条の戦争放棄は日本人が独自に戦争について判断できない政治状況において規定されているところから、日本人による戦争、日本人による交戦権の主張を認めないというに過ぎず、現実の軍事的対応は駐留米軍がする、という立法事実が前提事実です。

 日本国憲法の9条と米軍駐留は不可分の関係にあることが理解できれば、現在の米軍基地の存在問題も実は憲法問題であることが理解できるのであり、これが、正しい歴史認識に基づく議論です。現実には日本は「事実上の」軍事力(自衛隊)を保有しています。軍事力に「事実上」という形容詞が必要なのも日本固有の現象であり、世界の笑いもののひとつです。軍事力に「事実上」と「事実上でない」ものがあるはずもなく、まったく馬鹿げた日本語です。

 結局、9条改正は日本の軍事力(自衛隊)の法的認知問題であり、同時に駐留米軍の撤退問題でもあります。軍事防衛力をもたない国家など地球上には存在しえないのですから、現実に即応した法的解釈をしなければなりません。現在の国民の多数にこの国家の命運をかけた議論能力がどこまであるか、を自問したとき、答えは自ずから明白です。

憲法も法律も国民生活の規範を定めるもので、時代の変遷によって、改変の必要があることは当然です。従って、問題は具体的な改変の中身です。

 現在、自民党の主張する憲法改正の具体的中身が明確ではありません。極論すれば、戦争放棄を定めた9条だけを改正したいのであれば、時代の変遷による改変の必要性という改正の大義名分が成り立ちません。

(つづく)

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