2024年04月24日( 水 )

【凡学一生のやさしい法律学】さくら疑獄事件(3)

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「語るに落ちた」菅義偉官房長官

 菅氏は12月4日の記者会見で「バックアップデータは行政文書ではない」と発言した。この表現によって、バックアップデータを開示できるのに開示しなかった責任を逃れられると考えたのであろう。

 しかし、この発言によって、従来の政府の「桜を見る会」の招待者名簿破棄に関する一連の説明がすべて論理崩壊したことを本人はいまだに気付いていないだろう。

原本とバックアップ

 英語と日本語の混合表現では正確さを欠くので、以下では原本と写と表現する。するとバックアップという表現のもつ、「電磁記録によるコピー保存」というイメージが消失するため、行政文書の議論がより正確なものとなる。

菅氏の説明により発生した論理的過誤

(1)菅氏の第一の論理的過誤

 原本が行政文書でなければ、その写も当然、行政文書ではない。つまり、写が行政文書であるか否かの第一の条件は少なくとも原本が行政文書であることである。つまり、菅氏が写の行政文書性を否定するためには、原本の行政文書性を否定することが必要でかつ十分であった。ところが、会見では写には「組織共用性」がないことを理由とした。逆に原本の行政文書性を前提とした議論になってしまった。

(2)菅氏の第二の論理的過誤

 前記「第一の論理的過誤」は2つの論理系過誤を発生させた。

発生した論理系過誤 その1

 写に「組織共用性」がないとの「判断の当否」が論点となった。すなわち、組織共用性が行政文書性の基本的要素であるとして、どの程度・範囲の共用性を誰が判断するのか、という問題を発生させた。極論すれば、判断権限者の如何によっては、公文書管理法そのものを実質的に骨抜きにする論理的可能性を示唆した。つまり、一部の公務員の恣意的判断が横行してもそれを規制制限する手段が存在しないからである。判断者によっては組織共用性があると判断すれば、それは組織共用性があることになり、法的判断が無秩序状態となる。

 推察するに、菅氏に、写には組織共用性がない、と説明した公務員は、写の物理的存在形式・形状に着目した「感想」を基にして判断したもので、文書の内容の持つ一般的な用途・範囲を考慮しなかったのであろう。少なくとも、原本には組織共用性があって、同じ内容の写にはないと判断するには、その違いしか存在しないからである。

発生した論理系過誤 その2

 原本が行政文書であることが議論の前提であるが、原本には当然、組織共用性がある。

 写に組織共用性が否定されたことは、内容がまったく同一であることから、写の物理的形状・存在形式が組織共用性の否定の原因となったことになる。しかし、もともと原本と写の関係は、写はあくまで原本の喪失や破損に備えたものであるから、原本が存在するかぎり、写の組織共用性は必要ない。

 つまり、菅長官のいう「写の組織共用性」とは現実的な使用頻度とほぼ同義である。組織共用性とは現実の使用頻度ではなく、その文書の持つ性質から抽象的に考えられる使用・用途範囲であり、原本も写もその範囲は変わらない。明らかに組織共用性についての重大な誤解がある。それは原本たる行政文書が一応の使用目的を終了して、保管保存の段階になった時点においては、菅長官のいう組織共用性はまったく存在しなくなることから明らかである。

(3)菅氏の第三の論理過誤・矛盾

 原本は保存期間が1年未満文書であることを理由に廃棄された。その廃棄の実質的理由は膨大な個人情報が含まれることから、適切な保管管理が困難なことが短期廃棄の正当な理由とされた。しかし、組織共用性がない写であれば、逆に、極めて安全な管理状態となるはずである。しかも保存状態においては菅氏のいう組織共用性はまったく必要ない。従って、写の短期廃棄にはまったく合理的理由は存在しなくなる。

(4)菅氏の第四の論理過誤

 原本が1年未満の保存期間が定められた行政文書であるとする法的根拠はまったく存在しない。行政文書の保存期間はすべて5年以上であることが公文書管理法・同施行令による規定である。従って、そもそも原本を短期に廃棄処分したことがすでに重大な犯罪であり違法行為であることはすでに前稿で指摘した。

そもそも行政文書の廃棄は義務ではない。義務であるのは保管である。従って、すでに漏洩などに関して安全な状態にある写についてまで短期に廃棄する義務やそれを規定する法令は存在しない。保管義務のない公用文書(役所に存在する文書の総称)であれば、そもそも写を作成すること自体が矛盾であり、無駄である。

菅氏の論理矛盾・論理過誤の真因

 菅氏は公文書管理法第2条4項に規定する行政文書の正確な定義・意義を知らなかった。とくに行政文書であれば、その内容に応じて5年以上の保管期間が規定されていることも知らなかった。だから、「行政文書が1年未満(つまり期間制限の存在しない)の保存期間文書」なる表現を堂々と使用した。この時点ですでに論理破綻していたのである。

 今回の会見ではそれに上積みするかたちで「組織共用性」の誤解を付加した。すべて官僚のまことしやかな詭弁解釈をそのまま会見でオウム返しに述べたに過ぎなかった。

(つづく)

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